2012年08月07日
ルール・マナー違反とその原因の考察
先日の大会ではいろいろとルールやマナーに反する行為が見られました。先日に限らないものもありますが、いくつか挙げたいと思います。
①カモーン!!
自分がスーパーショットを決めたらカモーン!はいいかもしれませんが、相手がミスしてもカモーン!は如何なものかと…。人によっては喧嘩売っとんのか?と思われてもしょうがないと思います。自分も数年前にやられて気分がいいものではありませんでした。
②汗汗ふきふき
ポイントごとに必ず汗をタオルで拭く人。こんな人に言いたい。本当にその汗を拭く必要があるのかと。ポイント間の20秒を超えるタイムバイオレーションがほとんどです。そんなことを知ってか知らずか、1分は超える時間を使っていたりします。糞暑い中、待ちぼうけを食らう相手のことも考えるべきではないでしょうか。
相手のタイムバイオレーションに対して、セルフジャッジではどう対処すればいいのでしょうか。まずは相手に注意する、それでもダメならレフェリーに通告する、というのが現実的な対応でしょう。ただ、今までこのような抗議をしている人を見たことも聞いたこともないし、レフェリーが対処してくれるものかどうかもわかりませんが…。
③オムニコートでボールマークインスペクション要求
クレーコートでしかボールマークインスペクションは要求できません。それなのにオムニコートで「ボールマークどこ?」と堂々と要求している人がいました。論外です。自分がこう言われたら、「ボールマークは残ってません」って言ってみたいです。どうなるんでしょう?
④謝罪の強要
先日のダブルスで見られたとても胸糞悪い行為でした。行為者は相手のドロップボレーを拾いに行ったのですが、それがノットアップ臭く拾いました。そしてドロップボレーを打った人がそれをセンターにスマッシュしました。そこでドロップボレーを拾った人が怒って「今のは明らかにノットアップだ!スマッシュは危ないだろ!謝れ!!」と謝罪を強要したのでした。
端から見ていた自分にしては筋違いであると感じました。まず、ノットアップが明らかと言える状況ではないこと。それにノットアップが明らかならスマッシュするはずがありません。そもそもセルフジャッジなので相手のノットアップは指摘できませんので、スマッシュを打たれたくなければ自分でノットアップと言わなければならないでしょう。また、スマッシュを打った人は当てないようにペアの間に打っていたので、全く危なくもなかった。
この場面では謝れと言われた人が「すいませんでした」と言って終わったのですが、自分としては謝る必要がないことを主張して欲しかったです。もしくは「あーい、とぅいまてーん」とか言って欲しかった。ちなみにこの謝罪を強要した人は、上記①~③を全てしていました。こんな人と試合したくないです。
このままだと愚痴だけになってしまうので、①や②の行為が広く行われている原因を心理学的に考えてみます(③、④は論外)。
恐らくはプロが行なっているからだと考えられます。①はやっぱりヒューイットがその典型でしょうかねぇ…。②は多くのプロがしていますが、それはボールパーソンがいるからできることでしょう。自分一人しかいない状況でやるべき行為ではないはずです。
トッププロが行う行為はアマチュアプレーヤーに大きな影響を与えます。その行為は良いものであっても悪いものであっても大きな影響力を持ちます。良いものの例としては、ある選手の懸命な努力や多大なスポーツマンシップは、アマチュアプレーヤーがそれを模範として目指しすものになり、結果としてそのスポーツ界全体に良い影響を与えます。
では、悪いものはどうなるでしょうか。優秀な選手が悪い行為によって競技上で優位になったり得をするようなことがあれば、その行為は多くの人々、特に子供が真似をするようになります(社会的学習の分野においては「代理強化」と呼ばれます)。
最近話題になっているバドミントンの無気力試合を例に取ってみます。仮に、無気力試合をした選手が失格にならず、金メダルを獲得したとします。それを見た人は、わざと負けたから金メダルを獲ることができたと感じ、わざと負けることも勝つための手段の一つと認識します。そしてそれを見た人がそれを実行します。あからさまに失点したり、わざとセットを落としたり…。そのようなことが広く行われてしまえば、スポーツマンシップとしては全く健全ではないものが蔓延してしまうことになります。そのため、プロが行う行為は厳しく処分されることとなります。
なんだかとりとめのない話になってしまいました。とにかく、試合が終わった後はお互いに楽しかったと思えるようになるのが一番良いことだと思っています。ただし、相手の許されないような行為に対しては厳格に対処しなければならないと思います。そうして痛い目を見せなければその人を止めることができません。面倒事を避けるための事なかれ主義は建設的と言えるものではないと思います。
①カモーン!!
自分がスーパーショットを決めたらカモーン!はいいかもしれませんが、相手がミスしてもカモーン!は如何なものかと…。人によっては喧嘩売っとんのか?と思われてもしょうがないと思います。自分も数年前にやられて気分がいいものではありませんでした。
②汗汗ふきふき
ポイントごとに必ず汗をタオルで拭く人。こんな人に言いたい。本当にその汗を拭く必要があるのかと。ポイント間の20秒を超えるタイムバイオレーションがほとんどです。そんなことを知ってか知らずか、1分は超える時間を使っていたりします。糞暑い中、待ちぼうけを食らう相手のことも考えるべきではないでしょうか。
相手のタイムバイオレーションに対して、セルフジャッジではどう対処すればいいのでしょうか。まずは相手に注意する、それでもダメならレフェリーに通告する、というのが現実的な対応でしょう。ただ、今までこのような抗議をしている人を見たことも聞いたこともないし、レフェリーが対処してくれるものかどうかもわかりませんが…。
③オムニコートでボールマークインスペクション要求
クレーコートでしかボールマークインスペクションは要求できません。それなのにオムニコートで「ボールマークどこ?」と堂々と要求している人がいました。論外です。自分がこう言われたら、「ボールマークは残ってません」って言ってみたいです。どうなるんでしょう?
④謝罪の強要
先日のダブルスで見られたとても胸糞悪い行為でした。行為者は相手のドロップボレーを拾いに行ったのですが、それがノットアップ臭く拾いました。そしてドロップボレーを打った人がそれをセンターにスマッシュしました。そこでドロップボレーを拾った人が怒って「今のは明らかにノットアップだ!スマッシュは危ないだろ!謝れ!!」と謝罪を強要したのでした。
端から見ていた自分にしては筋違いであると感じました。まず、ノットアップが明らかと言える状況ではないこと。それにノットアップが明らかならスマッシュするはずがありません。そもそもセルフジャッジなので相手のノットアップは指摘できませんので、スマッシュを打たれたくなければ自分でノットアップと言わなければならないでしょう。また、スマッシュを打った人は当てないようにペアの間に打っていたので、全く危なくもなかった。
この場面では謝れと言われた人が「すいませんでした」と言って終わったのですが、自分としては謝る必要がないことを主張して欲しかったです。もしくは「あーい、とぅいまてーん」とか言って欲しかった。ちなみにこの謝罪を強要した人は、上記①~③を全てしていました。こんな人と試合したくないです。
このままだと愚痴だけになってしまうので、①や②の行為が広く行われている原因を心理学的に考えてみます(③、④は論外)。
恐らくはプロが行なっているからだと考えられます。①はやっぱりヒューイットがその典型でしょうかねぇ…。②は多くのプロがしていますが、それはボールパーソンがいるからできることでしょう。自分一人しかいない状況でやるべき行為ではないはずです。
トッププロが行う行為はアマチュアプレーヤーに大きな影響を与えます。その行為は良いものであっても悪いものであっても大きな影響力を持ちます。良いものの例としては、ある選手の懸命な努力や多大なスポーツマンシップは、アマチュアプレーヤーがそれを模範として目指しすものになり、結果としてそのスポーツ界全体に良い影響を与えます。
では、悪いものはどうなるでしょうか。優秀な選手が悪い行為によって競技上で優位になったり得をするようなことがあれば、その行為は多くの人々、特に子供が真似をするようになります(社会的学習の分野においては「代理強化」と呼ばれます)。
最近話題になっているバドミントンの無気力試合を例に取ってみます。仮に、無気力試合をした選手が失格にならず、金メダルを獲得したとします。それを見た人は、わざと負けたから金メダルを獲ることができたと感じ、わざと負けることも勝つための手段の一つと認識します。そしてそれを見た人がそれを実行します。あからさまに失点したり、わざとセットを落としたり…。そのようなことが広く行われてしまえば、スポーツマンシップとしては全く健全ではないものが蔓延してしまうことになります。そのため、プロが行う行為は厳しく処分されることとなります。
なんだかとりとめのない話になってしまいました。とにかく、試合が終わった後はお互いに楽しかったと思えるようになるのが一番良いことだと思っています。ただし、相手の許されないような行為に対しては厳格に対処しなければならないと思います。そうして痛い目を見せなければその人を止めることができません。面倒事を避けるための事なかれ主義は建設的と言えるものではないと思います。
2012年02月19日
ボールの打つときの叫び声の悪影響
今年初の投稿になりましたが、テニスに関する心理学の話題です。ボールを打つときに出す声が相手に対してどのような影響を与えるかに関する研究が発表されていました。web上にこの研究の要約がありましたので、これについて紹介したいと思います。要約をさらに要約した感じです。
論文のタイトルは
"A Preliminary Investigation Regarding the Effect of Tennis Grunting: Does White Noise During a Tennis Shot Have a Negative Impact on Shot Perception?"
日本語にすると、
「テニスにおける叫び声に関する予備的調査:ボールを打つときに発生するホワイトノイズはショットの知覚に悪影響を及ぼすか?」
となるでしょうか?わかりにくいですね…。実験手順について説明しますので、徐々に分かるかと思います。
・実験背景
テニスのトッププロにはボールを打つときに叫び声を上げる選手が多くいます。この叫び声は対戦相手にとっては邪魔になっていると言われることがありますが、科学的に立証されてはいないので調査しました。
・実験手順
実験では、テニス選手がボールを打つ映像を使いました。実験の参加者はその映像を見て、打ったボールが右に来るのか左に来るのかを出来る限り早く且つ正確に答えなければなりません。参加者は2つのグループに分けられました。一つのグループは、ボールを打つ瞬間に雑音(ホワイトノイズ:テレビの砂嵐で流れる「ザー」という音)が流れ、もう1つグループではホワイトノイズは流されませんでした。この2つのグループ間で、回答の正確さと回答するまでの時間を比較しました。
・結果
2つのグループ間では、正確さと早さに大きな差がみられました。雑音が流されたグループの方は回答が遅く、間違った割合も多くなったのです。余計な音を流すことは、このグループの参加者のパフォーマンスに悪影響を与えたと言えます。
・考察
では、なぜ雑音が悪影響を与えることになったのでしょうか?その理由はいくつか考えられます。例えば、ボールを打つときに発生する音が叫び声によって聞こえなくなるからかもしれません。他には、ボールの音よりも叫び声に注意が向いてしまうことも考えられます。
おおよそ以上のような内容になります。論文のタイトルにもあるように、これは予備的調査なので、雑音が悪影響を与える理由については断定できません。ただ、ボールを打つときに大きな声を上げると、優位な立場になることは明らかなようです。ただ、声がでかい方が勝つ!というわけではないでしょうし、声を出すことがスポーツマンシップに反するかどうかも賛否がわかれるでしょう。ただ、シャラポワレベルになると、そうも言ってられないのではないかとも思います。
論文のタイトルは
"A Preliminary Investigation Regarding the Effect of Tennis Grunting: Does White Noise During a Tennis Shot Have a Negative Impact on Shot Perception?"
日本語にすると、
「テニスにおける叫び声に関する予備的調査:ボールを打つときに発生するホワイトノイズはショットの知覚に悪影響を及ぼすか?」
となるでしょうか?わかりにくいですね…。実験手順について説明しますので、徐々に分かるかと思います。
・実験背景
テニスのトッププロにはボールを打つときに叫び声を上げる選手が多くいます。この叫び声は対戦相手にとっては邪魔になっていると言われることがありますが、科学的に立証されてはいないので調査しました。
・実験手順
実験では、テニス選手がボールを打つ映像を使いました。実験の参加者はその映像を見て、打ったボールが右に来るのか左に来るのかを出来る限り早く且つ正確に答えなければなりません。参加者は2つのグループに分けられました。一つのグループは、ボールを打つ瞬間に雑音(ホワイトノイズ:テレビの砂嵐で流れる「ザー」という音)が流れ、もう1つグループではホワイトノイズは流されませんでした。この2つのグループ間で、回答の正確さと回答するまでの時間を比較しました。
・結果
2つのグループ間では、正確さと早さに大きな差がみられました。雑音が流されたグループの方は回答が遅く、間違った割合も多くなったのです。余計な音を流すことは、このグループの参加者のパフォーマンスに悪影響を与えたと言えます。
・考察
では、なぜ雑音が悪影響を与えることになったのでしょうか?その理由はいくつか考えられます。例えば、ボールを打つときに発生する音が叫び声によって聞こえなくなるからかもしれません。他には、ボールの音よりも叫び声に注意が向いてしまうことも考えられます。
おおよそ以上のような内容になります。論文のタイトルにもあるように、これは予備的調査なので、雑音が悪影響を与える理由については断定できません。ただ、ボールを打つときに大きな声を上げると、優位な立場になることは明らかなようです。ただ、声がでかい方が勝つ!というわけではないでしょうし、声を出すことがスポーツマンシップに反するかどうかも賛否がわかれるでしょう。ただ、シャラポワレベルになると、そうも言ってられないのではないかとも思います。
2010年07月10日
験担ぎ(げんかつぎ)
たまには心理学ネタを書こうと思います。最初はそれが主だったはずですが、なかなかネタがないんです。
今回は験担ぎについてです。「げんかつぎ」って漢字でこう書くんですね。テニスにかかわらず、験を担ぐということはよくあります。テニスでは、ヒューイットがステンシルを上下逆さにするということをしているそうです。今回は験担ぎに関する研究の紹介みたいなことを書きます。ただしこの研究の詳細は忘れましたので、大学の講義を思い出しながら、だいたいで書きます。ネットでも手持ちの資料でも見つからなかったんです。
僕が知っている験担ぎの研究は、スキナーによるものです。被験体はハトで、そのハトをある程度空腹状態にして、ある程度大きいケージに入れます。
ハトが「腹へったよー」と言いながらうろうろと歩いている様を想像してください。そんな時に、一定の時間毎にエサをポトリとケージの中に落されます。ハトはがっついて食べますが、まだまだ足りません。もっと欲しがってます。すると、ハトの行動に変化が見られました。なにやら首をひねるような動作を繰り返すようになったのです。なぜでしょうか?
原因は、エサを上から落としたときにハトが偶然にも首をひねる動作をしたからです。ハトはお腹が減ってしょうがなく、わらにもすがりたいくらいです。そんな状態だったわけですから、エサが落ちてきたのは自分が首をひねったからだと思ったのです。もっともっとエサを食べたいので首をひねる動作をし始めた、ということです。特に何もしなくても、一定の時間待っていればエサをもらえるというのに。
この首をひねる動作とエサを得られることには、全く関係がありません。単なる偶然です。ですが、ハトは首をひねればエサを食べられると勘違いしたのです。心理学的にいえば、首をひねる動作が条件づけされたと言えますし、原因帰属の誤謬とも言えますし、その両方とも言えると思います。
先にヒューイットの験担ぎについて触れました。ステンシルを逆に描いているというものです。ヒューイットがこれをするきっかけになったのは、ステンシルを逆さに描いたのは偶然だったけれども、そのラケットでいい結果を残せたからだそうです。出典はテニスショップ裏日記さんというブログです。
ハトの例とヒューイットの例、ほとんど同じではないでしょうか?我々ヒトが行う験担ぎという行動は特別で高尚なものでも何でもないと言えるのではないでしょうか?だって、ハトレベルの動物でも同じようなことをするんですから(ハトをばかにしているわけではありません)。
ということで、験担ぎに対する僕の考え方は2つあります。1つは、験担ぎを特別に制限する必要はないということです。ハトですら行うような原始的行動なのですから、験担ぎをして当然と考えていいと思います。
ですが、今行っている験担ぎがパフォーマンスに悪影響を及ぼす場合はどうでしょうか?験担ぎとして行っていることは試合結果とは全く関係ないと考えて、止めたほうがいいでしょう。これが2つ目の考え方です。要するに、自分の都合のいいように考えちゃえばいいのだと思います。
ハトの首をひねる動作を験担ぎと書きましたが、この行動は迷信ともおまじないともオカルトとも言えると思います。験担ぎ・おまじないだとやってもいいことなのかな、と思えますが、迷信・オカルトだと馬鹿らしいことのように思えます。言葉のあやというものでしょうか。
今回は験担ぎについてです。「げんかつぎ」って漢字でこう書くんですね。テニスにかかわらず、験を担ぐということはよくあります。テニスでは、ヒューイットがステンシルを上下逆さにするということをしているそうです。今回は験担ぎに関する研究の紹介みたいなことを書きます。ただしこの研究の詳細は忘れましたので、大学の講義を思い出しながら、だいたいで書きます。ネットでも手持ちの資料でも見つからなかったんです。
僕が知っている験担ぎの研究は、スキナーによるものです。被験体はハトで、そのハトをある程度空腹状態にして、ある程度大きいケージに入れます。
ハトが「腹へったよー」と言いながらうろうろと歩いている様を想像してください。そんな時に、一定の時間毎にエサをポトリとケージの中に落されます。ハトはがっついて食べますが、まだまだ足りません。もっと欲しがってます。すると、ハトの行動に変化が見られました。なにやら首をひねるような動作を繰り返すようになったのです。なぜでしょうか?
原因は、エサを上から落としたときにハトが偶然にも首をひねる動作をしたからです。ハトはお腹が減ってしょうがなく、わらにもすがりたいくらいです。そんな状態だったわけですから、エサが落ちてきたのは自分が首をひねったからだと思ったのです。もっともっとエサを食べたいので首をひねる動作をし始めた、ということです。特に何もしなくても、一定の時間待っていればエサをもらえるというのに。
この首をひねる動作とエサを得られることには、全く関係がありません。単なる偶然です。ですが、ハトは首をひねればエサを食べられると勘違いしたのです。心理学的にいえば、首をひねる動作が条件づけされたと言えますし、原因帰属の誤謬とも言えますし、その両方とも言えると思います。
先にヒューイットの験担ぎについて触れました。ステンシルを逆に描いているというものです。ヒューイットがこれをするきっかけになったのは、ステンシルを逆さに描いたのは偶然だったけれども、そのラケットでいい結果を残せたからだそうです。出典はテニスショップ裏日記さんというブログです。
ハトの例とヒューイットの例、ほとんど同じではないでしょうか?我々ヒトが行う験担ぎという行動は特別で高尚なものでも何でもないと言えるのではないでしょうか?だって、ハトレベルの動物でも同じようなことをするんですから(ハトをばかにしているわけではありません)。
ということで、験担ぎに対する僕の考え方は2つあります。1つは、験担ぎを特別に制限する必要はないということです。ハトですら行うような原始的行動なのですから、験担ぎをして当然と考えていいと思います。
ですが、今行っている験担ぎがパフォーマンスに悪影響を及ぼす場合はどうでしょうか?験担ぎとして行っていることは試合結果とは全く関係ないと考えて、止めたほうがいいでしょう。これが2つ目の考え方です。要するに、自分の都合のいいように考えちゃえばいいのだと思います。
ハトの首をひねる動作を験担ぎと書きましたが、この行動は迷信ともおまじないともオカルトとも言えると思います。験担ぎ・おまじないだとやってもいいことなのかな、と思えますが、迷信・オカルトだと馬鹿らしいことのように思えます。言葉のあやというものでしょうか。
2009年10月10日
ボールを目で追うこと・見ること④
ボールを目で追うこと・見ること③の続きです。
前回、カテゴリーを生理系に移すとか言ってましたがその前に視覚の観点からもう一度書きたいと思います。時間稼ぎというわけではないようなそんなような…。
フェデラーがボールをヒットした後でも打点をずっと見ていることについて、生理学的な観点から意義を書こうと思っていました(これは次回から書きます)。
ですがその前に、ボールをヒットしている瞬間まで見ることが果たして視覚的な意味があるのかないのかについてです。具体的には、ヒットの瞬間まで見ることがボールの正確な位置の把握、打点の把握につながるのかどうかについてです。
結論から言えば、そのような意味ではヒットの瞬間まで見る必要はないのではないかと思います。ボールを打とうとしてからヒットするまでにはある程度時間を要します。ラケットを振ろうと意思決定するまでの時間、意思決定してからラケットを振り始めるまでの時間、そしてラケットを振り始めてからボールにヒットするまでの時間…。結構時間がかかるます(このような時間の分け方は心理学的に賛否両論があるかと思います。特に最初の「意思決定するまでの時間」)。
このような時間が必要なので、ボールが将来ヒットされる場所に来るはるか手前からスイングは開始されます。そうじゃなければどうやっても間に合いません。ボールをヒットしている瞬間というものは、もはやスイングが終了しているようなものであり、修正はできないでしょう。その瞬間を見ているからといっても、その視覚情報をスイングに生かすことは無理ではないでしょうか。
そして以前に書いたとおり、ボールを目で追うことは非常に困難なことです。打点というものは予測されるものであるため、ボールがヒットする瞬間を見ているとしても、それは予測が当たったから見ることができるものです。ヒットする瞬間を見ているからボールをヒットできるわけではないのです。
それらを示すいい例が、イレギュラーバウンドで空振りすることです。我々も空振りします。フェデラーでも、ウィンブルドン決勝の荒れたグラスコートでのイレギュラーバウンドで空振りすることがありました。また、雑誌などを見るとボールを打つ瞬間にボールを見ずに既に前を見ている選手もちらほら見受けられます。アマチュアプレーヤーでも、特に打点を見ることに注意を向けていない人が多いのではないかと思います。
以上、ボールをヒットする瞬間を見ても打点の正確な把握などにはつながらないであろうことについて書きました。じゃあ全く意味ないじゃないか、と思われるかもしれません。ボールの位置の把握という視覚的な観点では意味がないかもしれませんが、他に意味があると考えられます。それについて、次回から書きたいと思います。
(´-`).。oO(どうやって書こうかなぁ…)
(´-`).。oO(年内に間に合うかなぁ…)
ボールを目で追うこと・見ること⑤へ続く。
前回、カテゴリーを生理系に移すとか言ってましたがその前に視覚の観点からもう一度書きたいと思います。時間稼ぎというわけではないようなそんなような…。
フェデラーがボールをヒットした後でも打点をずっと見ていることについて、生理学的な観点から意義を書こうと思っていました(これは次回から書きます)。
ですがその前に、ボールをヒットしている瞬間まで見ることが果たして視覚的な意味があるのかないのかについてです。具体的には、ヒットの瞬間まで見ることがボールの正確な位置の把握、打点の把握につながるのかどうかについてです。
結論から言えば、そのような意味ではヒットの瞬間まで見る必要はないのではないかと思います。ボールを打とうとしてからヒットするまでにはある程度時間を要します。ラケットを振ろうと意思決定するまでの時間、意思決定してからラケットを振り始めるまでの時間、そしてラケットを振り始めてからボールにヒットするまでの時間…。結構時間がかかるます(このような時間の分け方は心理学的に賛否両論があるかと思います。特に最初の「意思決定するまでの時間」)。
このような時間が必要なので、ボールが将来ヒットされる場所に来るはるか手前からスイングは開始されます。そうじゃなければどうやっても間に合いません。ボールをヒットしている瞬間というものは、もはやスイングが終了しているようなものであり、修正はできないでしょう。その瞬間を見ているからといっても、その視覚情報をスイングに生かすことは無理ではないでしょうか。
そして以前に書いたとおり、ボールを目で追うことは非常に困難なことです。打点というものは予測されるものであるため、ボールがヒットする瞬間を見ているとしても、それは予測が当たったから見ることができるものです。ヒットする瞬間を見ているからボールをヒットできるわけではないのです。
それらを示すいい例が、イレギュラーバウンドで空振りすることです。我々も空振りします。フェデラーでも、ウィンブルドン決勝の荒れたグラスコートでのイレギュラーバウンドで空振りすることがありました。また、雑誌などを見るとボールを打つ瞬間にボールを見ずに既に前を見ている選手もちらほら見受けられます。アマチュアプレーヤーでも、特に打点を見ることに注意を向けていない人が多いのではないかと思います。
以上、ボールをヒットする瞬間を見ても打点の正確な把握などにはつながらないであろうことについて書きました。じゃあ全く意味ないじゃないか、と思われるかもしれません。ボールの位置の把握という視覚的な観点では意味がないかもしれませんが、他に意味があると考えられます。それについて、次回から書きたいと思います。
(´-`).。oO(どうやって書こうかなぁ…)
(´-`).。oO(年内に間に合うかなぁ…)
ボールを目で追うこと・見ること⑤へ続く。
2009年09月13日
ボールを目で追うこと・見ること③
ボールを目で追うこと・見ること②の続きです。
前回から、改めて総括です。2つのケースで計算された速度は我々一般ピープルでも簡単に出せる速度です。つまり、ボールを目で追うということはほとんどできないということです。このことから、我々がテニスで用いる眼球運動は随従運動ではなくてサッケードが主ということになります。ボールを目で追えないなら、ボールを見ることなんて気にしなくてもいい?と思われるかもしれませんが、それは違います。そのようなボールの見方がどのような意味があるのかについて考察していきたいと思います。
ボールに限らず、物の動きを察知するのは中心視ではなくて周辺視が大きな役割を果たします。中心視・周辺視についてはいつぞやに書きました。そちらにずらずらと書いているので参照にしてください。この周辺視というものを中心に考えると、サッケードによって将来ボールが飛んでくる予測したところに視点を置くことによって、効果的に周辺視を用いてボールの動きを捉えていると考えられます。なので、ボールを目で追えないんだったら一生懸命見なくてもいい、というわけではありません。目で追えないからこそ見なくてはいけない…と言えばいいのかな…(;・∀・)?しかし、周辺視は無意識的なものなので、その重要性は分かりづらいものだと思いますけれどね。
これでめでたしめでたし…となればいいのですが、ボールを見るという行動には、「他の意味」もあるのではないかと思いました。そのように思ってしまったため、終わりがいつになるのか分からなくなってしまいました( ; ゚Д゚)
この続きは次回に持ち越しです。カテゴリーは「生理系」へと移ります。
次がいつになるのか分からないので、「他の意味」のヒントみたいな画像を置いておきます。
特にフェデラーに顕著なこれです。ボールを打ったあとなのに、ずっとそこを見ていて何の意味があるんだい?というのが次からの話題になります。この続きは次回です。
ボールを目で追うこと・見ること④へ続く。
前回から、改めて総括です。2つのケースで計算された速度は我々一般ピープルでも簡単に出せる速度です。つまり、ボールを目で追うということはほとんどできないということです。このことから、我々がテニスで用いる眼球運動は随従運動ではなくてサッケードが主ということになります。ボールを目で追えないなら、ボールを見ることなんて気にしなくてもいい?と思われるかもしれませんが、それは違います。そのようなボールの見方がどのような意味があるのかについて考察していきたいと思います。
ボールに限らず、物の動きを察知するのは中心視ではなくて周辺視が大きな役割を果たします。中心視・周辺視についてはいつぞやに書きました。そちらにずらずらと書いているので参照にしてください。この周辺視というものを中心に考えると、サッケードによって将来ボールが飛んでくる予測したところに視点を置くことによって、効果的に周辺視を用いてボールの動きを捉えていると考えられます。なので、ボールを目で追えないんだったら一生懸命見なくてもいい、というわけではありません。目で追えないからこそ見なくてはいけない…と言えばいいのかな…(;・∀・)?しかし、周辺視は無意識的なものなので、その重要性は分かりづらいものだと思いますけれどね。
これでめでたしめでたし…となればいいのですが、ボールを見るという行動には、「他の意味」もあるのではないかと思いました。そのように思ってしまったため、終わりがいつになるのか分からなくなってしまいました( ; ゚Д゚)
この続きは次回に持ち越しです。カテゴリーは「生理系」へと移ります。
次がいつになるのか分からないので、「他の意味」のヒントみたいな画像を置いておきます。
特にフェデラーに顕著なこれです。ボールを打ったあとなのに、ずっとそこを見ていて何の意味があるんだい?というのが次からの話題になります。この続きは次回です。
ボールを目で追うこと・見ること④へ続く。
2009年08月31日
ボールを目で追うこと・見ること②
ボールを目で追うこと・見ること①の続きです。
随従運動の眼球運動の速さを30°/sまでと仮定した場合、「ボールを目で追う」ことができるのはテニスにおいてはどれくらいの速さのボールなのか、についてです。ケース1とケース2の分けて書きます。
ケース1
「1」という選手と「2」という選手がベースライン中央にいるとします。「1」の選手がボールを打つ人、「2」の選手がボールを見る人です。「1」はベースライン中央(A)からベースラインのサイドぎりぎり(B)に打ったとします。このケースにおいて、「2」の人はどれくらいの速さのボールを目で追うことができるのか、つまり30°/sの眼球運動で見ることができるボールの時速はいくらかを計算します。
ABの長さは約24.11m、ACの長さは23.77m、BCの長さは4.114m、BACの角度は約9.82°になります。これらの値から計算しますが、過程は省略します。
30°/sの眼球運動で見ることができるボールの時速は、およそ「32.73km/h」です。どう感じるでしょうか?かなり遅いと感じるのではないかと思います。計算ミスはたぶんない…はず。
ケース2
ケース1はベースライン上のサイドラインぎりぎりのところでしたが、それではきついんじゃない?という自分自身の声にこたえるために(?)、ケース2を設定しました。図を見ればわかりますが、打球はベースライン中央とサイドの中間に落下した場合です。
ABの長さは約23.85m、ACの長さは23.77m、BCの長さは2.057m、BACの角度は約4.95°になります。
ケース1と同様に計算すると、30°/sの眼球運動で見ることができるボールの時速は、およそ「52.04km/h」です。ケース1とはかなり異なる値ですが、だいぶ遅いのではないかと思います。
ケース1、2の総括ですが、その前に。この計算で考慮できないことが2点あります。1つは、我々の首の動きが考慮に入れられていない点です。眼球運動の実質の速さは、眼球運動の速度+首(顔)の動く速度です。もっと速い打球にも目で追えるんじゃないの?という反論が可能な点です。
もう1つは、ボールの上下の動きを計算に入れることができない点です。その中でも、とりわけ角度の変化が激しいバウンドを考慮できません。エッグボールでしたらバウンドせずとも角度の変化は相当だと思います。もっと遅い打球にしか目で追えないんじゃないの?という反論が可能な点です。
この2つの点によって互いが相殺されるという生暖かい目で、僕の考察を見てみてください(;・∀・)長くなったので、考察は次回です。
(ボールの上下の動きもどうにか計算に入れられないかと考えました。そのために、実際にボールの動きを動画で撮影したりしましたが結局無理でした。撮影に協力してくれたSさん、ありがとうございました。)
ボールを目で追うこと・見ること③へ続く。
随従運動の眼球運動の速さを30°/sまでと仮定した場合、「ボールを目で追う」ことができるのはテニスにおいてはどれくらいの速さのボールなのか、についてです。ケース1とケース2の分けて書きます。
ケース1
「1」という選手と「2」という選手がベースライン中央にいるとします。「1」の選手がボールを打つ人、「2」の選手がボールを見る人です。「1」はベースライン中央(A)からベースラインのサイドぎりぎり(B)に打ったとします。このケースにおいて、「2」の人はどれくらいの速さのボールを目で追うことができるのか、つまり30°/sの眼球運動で見ることができるボールの時速はいくらかを計算します。
ABの長さは約24.11m、ACの長さは23.77m、BCの長さは4.114m、BACの角度は約9.82°になります。これらの値から計算しますが、過程は省略します。
30°/sの眼球運動で見ることができるボールの時速は、およそ「32.73km/h」です。どう感じるでしょうか?かなり遅いと感じるのではないかと思います。計算ミスはたぶんない…はず。
ケース2
ケース1はベースライン上のサイドラインぎりぎりのところでしたが、それではきついんじゃない?という自分自身の声にこたえるために(?)、ケース2を設定しました。図を見ればわかりますが、打球はベースライン中央とサイドの中間に落下した場合です。
ABの長さは約23.85m、ACの長さは23.77m、BCの長さは2.057m、BACの角度は約4.95°になります。
ケース1と同様に計算すると、30°/sの眼球運動で見ることができるボールの時速は、およそ「52.04km/h」です。ケース1とはかなり異なる値ですが、だいぶ遅いのではないかと思います。
ケース1、2の総括ですが、その前に。この計算で考慮できないことが2点あります。1つは、我々の首の動きが考慮に入れられていない点です。眼球運動の実質の速さは、眼球運動の速度+首(顔)の動く速度です。もっと速い打球にも目で追えるんじゃないの?という反論が可能な点です。
もう1つは、ボールの上下の動きを計算に入れることができない点です。その中でも、とりわけ角度の変化が激しいバウンドを考慮できません。エッグボールでしたらバウンドせずとも角度の変化は相当だと思います。もっと遅い打球にしか目で追えないんじゃないの?という反論が可能な点です。
この2つの点によって互いが相殺されるという生暖かい目で、僕の考察を見てみてください(;・∀・)長くなったので、考察は次回です。
(ボールの上下の動きもどうにか計算に入れられないかと考えました。そのために、実際にボールの動きを動画で撮影したりしましたが結局無理でした。撮影に協力してくれたSさん、ありがとうございました。)
ボールを目で追うこと・見ること③へ続く。
2009年08月15日
ボールを目で追うこと・見ること①
長らく、このブログのメインテーマである心理学関係から離れていました。それというのも、今回から何回か掛けて書こうとしている記事のためです。いろいろ調べたり、考えなおしたり、図をこしらえたりと時間がかかりました(現在進行形でまだ時間がかかっていますが)。それだけ重要なことを書こうと思っているのですが、最終的にははっきりとした結論は出ず、仮説のようなものを提示して終わってしまうと思われます。それでも何かしらの意義はあるだろうと思うので書きたいと思います。
まずは、タイトルのようにボールを目で追うことができっるかどうかについてです。よく「ボールから目を離すな」などと言われますが、それが可能なのかどうかを眼球運動の観点から検証してみたいと思って調べてみました。
眼球の動きは数種類ありますが、今回関係するのはそのうちの2つです。
1つは随従運動というものです(追跡眼球運動、追従眼球運動などとも呼ばれます)。文章を読むときなどはこの眼球運動になります。見る対象を視野の中に入れて、しっかりと網膜に焼き付けるようなものです。例えば、
1 2 3 4 5 6 7 8 9
という文字列を左から右へ順に見ていく場合に、1~9までの数字を順に1つずつ認識できるように見るための眼球運動が、随従運動になります。要するに、見る対象を目で追う、追従するための運動です。
もう1つは、サッケードです。これは見る対象の方向に目を向けるための眼球運動です。これも例で示しますと、
1 2 3 4 5 6 7 8 9
という文字列があり、2~8をすっ飛ばして1から9へ目を向けるというものになります。日常生活でいえば、急に物音がしたときにその方向に目を向けるときなどもこの眼球運動になります。
次に、この2つの眼球運動の速さについてです。どちらが速いかと言えば、断然サッケードの方が速いです。随従運動とサッケードの境については、有斐閣の心理学辞典によれば、一般の人は眼球の動きの速さが30°/sを超えるあたりからサッケードが混じり始めます(眼球は球体なので、目が動く距離に関しては「°」が使われます。「30°/s」というのは1秒当たりに30°動くという意味です)。これにより、随従運動の眼球運動の速さを30°/sまでと仮定すると、いわゆる「ボールを目で追う」ことができるのは、その速さの眼球運動によって動くボールを追従して見ることができる、ということになるでしょう。
今回はここまで。次回は、テニスにおいて何k/hのボールまで随従運動で捉えることができるのか、つまり「目で追う」ことができるのかについてです。
ボールを目で追うこと・見ること②へ続く
まずは、タイトルのようにボールを目で追うことができっるかどうかについてです。よく「ボールから目を離すな」などと言われますが、それが可能なのかどうかを眼球運動の観点から検証してみたいと思って調べてみました。
眼球の動きは数種類ありますが、今回関係するのはそのうちの2つです。
1つは随従運動というものです(追跡眼球運動、追従眼球運動などとも呼ばれます)。文章を読むときなどはこの眼球運動になります。見る対象を視野の中に入れて、しっかりと網膜に焼き付けるようなものです。例えば、
1 2 3 4 5 6 7 8 9
という文字列を左から右へ順に見ていく場合に、1~9までの数字を順に1つずつ認識できるように見るための眼球運動が、随従運動になります。要するに、見る対象を目で追う、追従するための運動です。
もう1つは、サッケードです。これは見る対象の方向に目を向けるための眼球運動です。これも例で示しますと、
1 2 3 4 5 6 7 8 9
という文字列があり、2~8をすっ飛ばして1から9へ目を向けるというものになります。日常生活でいえば、急に物音がしたときにその方向に目を向けるときなどもこの眼球運動になります。
次に、この2つの眼球運動の速さについてです。どちらが速いかと言えば、断然サッケードの方が速いです。随従運動とサッケードの境については、有斐閣の心理学辞典によれば、一般の人は眼球の動きの速さが30°/sを超えるあたりからサッケードが混じり始めます(眼球は球体なので、目が動く距離に関しては「°」が使われます。「30°/s」というのは1秒当たりに30°動くという意味です)。これにより、随従運動の眼球運動の速さを30°/sまでと仮定すると、いわゆる「ボールを目で追う」ことができるのは、その速さの眼球運動によって動くボールを追従して見ることができる、ということになるでしょう。
今回はここまで。次回は、テニスにおいて何k/hのボールまで随従運動で捉えることができるのか、つまり「目で追う」ことができるのかについてです。
ボールを目で追うこと・見ること②へ続く
2009年06月13日
滑るスライスに関する考察
ストリングの話ばかりになりそうなので、心理学に関係することも書きます。今回はスライスが滑るように見えることについてです。今回も自論です。
まず最初にスライスが滑るとは何かについてです。ネットでいろいろ調べてみましたが、テニス365には次のような記述があります。
>次はスライスにテーマを移し、「滑るスライス」について考えてみよう。目標は、バウンド時にコートで低く滑らせて、相手の打点を食いこませるようなスライスを打てるようになること。回転とスピードが両立した、いわゆる「ペースのあるボール」が求められる。
http://news.tennis365.net/lesson/tokushu/back/back08_04.html
この文章から考えると、滑るの要因の1つはバウンド後の弾道が低いことでしょう。これについては異論はないと思います。しかし、「相手の打点を食いこませるような」はどうでしょうか?「相手の打点を食いこませるような」は「打点を後ろに遅らせる」という意味だと思うことを踏まえると、バウンド後のスピードが速く見えることではないかと僕は思います。今回の話は、バウンド後のスライスは速く見えることについて主に書きます。
下はトップスピンとスライスの軌道を模式的に表した図です。
(図がおおざっぱですいません><)
バウンド後の軌道が低いことについてはあまり記述しなくてもいいでしょう。トップスピンは下に落ちる変化をするため、バウンド後は跳ねるような軌道になります。光の入射角と反射角みたいな感じです。一方スライスは、アンダースピンがかかっているので落ちにくい軌道になります。そのためバウンド後は低い軌道になります。
次に、バウンド後のスピードの見え方についてです。トップスピンのバウンド後の軌道は山なりになります。一方スライスは、トップスピンと比較して直線的になります。山なりに曲がって移動するトップスピンよりも、直線的な弾道のスライスの方が進む移動する距離は少なくなります。スライスとトップスピンのバウンド後のスピードが同じとした場合、スライスはバウンドしてから打者に到達するまでの時間も短くなります。そのため、スピードが速く「見える」のだと考えられます。スピードが同じなのに、スライスの方がスピードが速く見えてしまう、つまり「錯視(目の錯覚)」が生じているのではないか?というのが僕の考えです。
しかし、錯視とは言えないかもしれません。反論はいくつかあり得ます。
ボールが到達する時間が少ないだけでスピード自体は速く見えてはいないのでは?なんて言われたら…。これが反論その1です。
スライスの軌道とトップスピンの軌道を、↑の図のように横からではなく、真上から(上空のカメラから)見た場合を想像してください。錯覚でも何でもなく、スライスの方が速く見えます。スライスの方が相手に到達する時間が短いわけですから。ストロークを打つ際、通常は球を横からではなくて見下ろすように見てるよね?それが影響しているんじゃないの?なんて言われたら…。反論その2です。
自分の考えも一理あると思うんだけどなぁ…。どうなんでしょ…。自分で自分に反論してたら自信がなくなってきた…。
とりあえず無難にまとめると、『スライスが滑って見える要因は、バウンド前の弾道が直線的であるためバウンド後の弾道が低いこと及びバウンド後の弾道が直線的であるためバウンドしてから相手に到達するまでの時間が短いことである』、ということになります。
話がそれますが、今回の記事を書くきっかけになったことについてあれこれ。一般的に滑るスライスを打つには、回転はそんなに掛けないことと、速いスピードが必要であると言われています。しかし、僕が以前対戦した滑るスライスを打つ人は全くの逆を行っていました。その人のスライスはスピードも速くなくて回転がかなり多いのに、ものすごく滑るスライスを打っていました。一般的な(?)回転が多くてスピードが遅いスライスは、山なりな弾道でバウンドはその場で止まってしまう球が想像されると思います。しかし、その人の弾道は山なりではなく、直線的でした。その人と対戦したことがきっかけで、滑るスライスに必要なのは回転の多少や速度ではなく、直線的な軌道ではないかと考えています。
まず最初にスライスが滑るとは何かについてです。ネットでいろいろ調べてみましたが、テニス365には次のような記述があります。
>次はスライスにテーマを移し、「滑るスライス」について考えてみよう。目標は、バウンド時にコートで低く滑らせて、相手の打点を食いこませるようなスライスを打てるようになること。回転とスピードが両立した、いわゆる「ペースのあるボール」が求められる。
http://news.tennis365.net/lesson/tokushu/back/back08_04.html
この文章から考えると、滑るの要因の1つはバウンド後の弾道が低いことでしょう。これについては異論はないと思います。しかし、「相手の打点を食いこませるような」はどうでしょうか?「相手の打点を食いこませるような」は「打点を後ろに遅らせる」という意味だと思うことを踏まえると、バウンド後のスピードが速く見えることではないかと僕は思います。今回の話は、バウンド後のスライスは速く見えることについて主に書きます。
下はトップスピンとスライスの軌道を模式的に表した図です。
(図がおおざっぱですいません><)
バウンド後の軌道が低いことについてはあまり記述しなくてもいいでしょう。トップスピンは下に落ちる変化をするため、バウンド後は跳ねるような軌道になります。光の入射角と反射角みたいな感じです。一方スライスは、アンダースピンがかかっているので落ちにくい軌道になります。そのためバウンド後は低い軌道になります。
次に、バウンド後のスピードの見え方についてです。トップスピンのバウンド後の軌道は山なりになります。一方スライスは、トップスピンと比較して直線的になります。山なりに曲がって移動するトップスピンよりも、直線的な弾道のスライスの方が進む移動する距離は少なくなります。スライスとトップスピンのバウンド後のスピードが同じとした場合、スライスはバウンドしてから打者に到達するまでの時間も短くなります。そのため、スピードが速く「見える」のだと考えられます。スピードが同じなのに、スライスの方がスピードが速く見えてしまう、つまり「錯視(目の錯覚)」が生じているのではないか?というのが僕の考えです。
しかし、錯視とは言えないかもしれません。反論はいくつかあり得ます。
ボールが到達する時間が少ないだけでスピード自体は速く見えてはいないのでは?なんて言われたら…。これが反論その1です。
スライスの軌道とトップスピンの軌道を、↑の図のように横からではなく、真上から(上空のカメラから)見た場合を想像してください。錯覚でも何でもなく、スライスの方が速く見えます。スライスの方が相手に到達する時間が短いわけですから。ストロークを打つ際、通常は球を横からではなくて見下ろすように見てるよね?それが影響しているんじゃないの?なんて言われたら…。反論その2です。
自分の考えも一理あると思うんだけどなぁ…。どうなんでしょ…。自分で自分に反論してたら自信がなくなってきた…。
とりあえず無難にまとめると、『スライスが滑って見える要因は、バウンド前の弾道が直線的であるためバウンド後の弾道が低いこと及びバウンド後の弾道が直線的であるためバウンドしてから相手に到達するまでの時間が短いことである』、ということになります。
話がそれますが、今回の記事を書くきっかけになったことについてあれこれ。一般的に滑るスライスを打つには、回転はそんなに掛けないことと、速いスピードが必要であると言われています。しかし、僕が以前対戦した滑るスライスを打つ人は全くの逆を行っていました。その人のスライスはスピードも速くなくて回転がかなり多いのに、ものすごく滑るスライスを打っていました。一般的な(?)回転が多くてスピードが遅いスライスは、山なりな弾道でバウンドはその場で止まってしまう球が想像されると思います。しかし、その人の弾道は山なりではなく、直線的でした。その人と対戦したことがきっかけで、滑るスライスに必要なのは回転の多少や速度ではなく、直線的な軌道ではないかと考えています。
2009年06月06日
ラリー中の視覚方略
前回、サーバーに対しての視覚方略に関して書きました。今回はラリー中の視覚方略(簡単にいえば、サーブ以外に対しての視覚方略)について書きたいと思います。
はっきり言うとよくわかりません。サーブは自分でトスを上げてそれを打つという閉鎖的な回路であるといえますが、それ以外は相手が打ったボールを打つという開放的な回路と言えます。簡単にいえば、サーブはどこに打つかどうかは自分で決めることができますが、ラリーでは相手の打ったショットの影響や打つ人の体勢などによって、どこに何を打つのかが制限されることがあるからです。走ってようやく追い付くようなショットならストレートになりがちですし、相手がオープンスタンスなら逆クロスには打ちづらいでしょう。そのため、サーブのようにあらかじめラケットがボールをヒットする場所に視線を置けばいい、という単純なものではないと思います。相手の打球を予測するとしたら、相手のパターンを考慮したり今までの自分の経験なども多分に影響するでしょう。
しかし、ヒントになりそうなことを見かけました。ネットでフェデラーの試合の動画を見ていた時のことです。詳細は忘れましたが、その動画では鈴木貴男選手が解説をしていました。そのフェデラーの試合の前に鈴木選手がフェデラーと対戦したからです。その解説で鈴木選手がフェデラーのパッシングについて述べており、「ラケットヘッドがなかなか出てこないので、コースが読みづらい」と言っていました。このことから、少なくとも打球時にはサーブの視覚方略のようにラケットがボールをヒットする予定のところを見ているのではないかとも思えます。しかし、相手のラケットを見ているとも取れます。
ヒントになりそうな発言なのですが、やっぱりよくわかりません…。
はっきり言うとよくわかりません。サーブは自分でトスを上げてそれを打つという閉鎖的な回路であるといえますが、それ以外は相手が打ったボールを打つという開放的な回路と言えます。簡単にいえば、サーブはどこに打つかどうかは自分で決めることができますが、ラリーでは相手の打ったショットの影響や打つ人の体勢などによって、どこに何を打つのかが制限されることがあるからです。走ってようやく追い付くようなショットならストレートになりがちですし、相手がオープンスタンスなら逆クロスには打ちづらいでしょう。そのため、サーブのようにあらかじめラケットがボールをヒットする場所に視線を置けばいい、という単純なものではないと思います。相手の打球を予測するとしたら、相手のパターンを考慮したり今までの自分の経験なども多分に影響するでしょう。
しかし、ヒントになりそうなことを見かけました。ネットでフェデラーの試合の動画を見ていた時のことです。詳細は忘れましたが、その動画では鈴木貴男選手が解説をしていました。そのフェデラーの試合の前に鈴木選手がフェデラーと対戦したからです。その解説で鈴木選手がフェデラーのパッシングについて述べており、「ラケットヘッドがなかなか出てこないので、コースが読みづらい」と言っていました。このことから、少なくとも打球時にはサーブの視覚方略のようにラケットがボールをヒットする予定のところを見ているのではないかとも思えます。しかし、相手のラケットを見ているとも取れます。
ヒントになりそうな発言なのですが、やっぱりよくわかりません…。
2009年06月03日
リターナーの視覚方略
以前、スポーツの熟達者は相手のどこを見ているのかについて書きました。その時はテニスについてはよくわかりませんでしたが、自分なりに考えてみました。ということで、今回は完全に自論です。
今回はリターナーはサーバーのどこを見るのがいいのかについてです。これについては、野球のバッターがピッチャーのどこを見ているのかについての研究がそのまま当てはまると思います。バッティングの熟達者は主にピッチャーの肩、胸部に視線を置き、ボールがリリースされる前には肘付近に視線を動かしていました。つまり、リリースされる前には、将来はリリースポイントになる、何もないところを見ていました。これについて、ピッチャーをサーバー、バッターをリターナーに当てはめると、↓のようになるかと思います。(画像はテニス365から拝借しました)
〇で囲んだところに視線を置いておくということ、つまりは将来ラケットがボールをヒットする予定である何もないところを見る、ということです。(『「リターナーはサーバーのどこを見るのがいいのか?」なのに、サーバーを見てないじゃん!』という突っ込みはなしです…。)
なぜこのようにすることが有効なのかを考えてみました。↑のように視線をあらかじめラケットがボールをヒットする予定の場所に置いた場合、ラケットがボールをヒットする瞬間から打球を見ることができます。では、ボールがヒットしてからようやく視線を打球に移すとどうなるでしょうか?きっと、ボールがヒットする瞬間から打球を見ることはできないでしょう。つまり、打球を見ることができる時間が少なくなるはずです。どれくらい少なくなるのかわかりませんが、仮にサーブのスピードを100km/h、見るのが遅れた時間(つまりラケットがボールにヒットしてから打球を見始めるまでに要した時間)を0.1秒とします。100km/hのボールは0.1秒で約2.8m進みます。つまり、0.1秒見るのが遅れると、相手サーバーがベースラインの内側から約2.8m手前のところでサーブを打ってくるのと同じようなものです。もし、画像のロディックが240km/hのサーブを打ってきたとしたら、約6.7m手前からサーブを打ってくるようなものになります。考えただけでも恐ろしい…。
このような視線の置き方をしていなかった、且つ、速いサーブに反応できません><という人には、即効薬になるのではないかと思います(最初に言ったとおり、自論なので保証はしませんが)。ただし、トスを上げるまではサーバー本人を見ておいた方がいいと思います。いきなりアンダーサーブを打たれたら「…(゚Д゚)ポカーン」としてしまいますからね。
今回はリターナーはサーバーのどこを見るのがいいのかについてです。これについては、野球のバッターがピッチャーのどこを見ているのかについての研究がそのまま当てはまると思います。バッティングの熟達者は主にピッチャーの肩、胸部に視線を置き、ボールがリリースされる前には肘付近に視線を動かしていました。つまり、リリースされる前には、将来はリリースポイントになる、何もないところを見ていました。これについて、ピッチャーをサーバー、バッターをリターナーに当てはめると、↓のようになるかと思います。(画像はテニス365から拝借しました)
〇で囲んだところに視線を置いておくということ、つまりは将来ラケットがボールをヒットする予定である何もないところを見る、ということです。(『「リターナーはサーバーのどこを見るのがいいのか?」なのに、サーバーを見てないじゃん!』という突っ込みはなしです…。)
なぜこのようにすることが有効なのかを考えてみました。↑のように視線をあらかじめラケットがボールをヒットする予定の場所に置いた場合、ラケットがボールをヒットする瞬間から打球を見ることができます。では、ボールがヒットしてからようやく視線を打球に移すとどうなるでしょうか?きっと、ボールがヒットする瞬間から打球を見ることはできないでしょう。つまり、打球を見ることができる時間が少なくなるはずです。どれくらい少なくなるのかわかりませんが、仮にサーブのスピードを100km/h、見るのが遅れた時間(つまりラケットがボールにヒットしてから打球を見始めるまでに要した時間)を0.1秒とします。100km/hのボールは0.1秒で約2.8m進みます。つまり、0.1秒見るのが遅れると、相手サーバーがベースラインの内側から約2.8m手前のところでサーブを打ってくるのと同じようなものです。もし、画像のロディックが240km/hのサーブを打ってきたとしたら、約6.7m手前からサーブを打ってくるようなものになります。考えただけでも恐ろしい…。
このような視線の置き方をしていなかった、且つ、速いサーブに反応できません><という人には、即効薬になるのではないかと思います(最初に言ったとおり、自論なので保証はしませんが)。ただし、トスを上げるまではサーバー本人を見ておいた方がいいと思います。いきなりアンダーサーブを打たれたら「…(゚Д゚)ポカーン」としてしまいますからね。
2008年08月07日
潜在学習
前回で触れた潜在学習についてです。潜在学習は、知っている人は知っているスキナーが発見したものです。最初にその実験について説明します。
実験では、ネズミに迷路課題をさせました。測定したのは、試行回数毎における、ゴールに着くまでに行き止まりに行ってしまった回数です。簡単にいえば、迷路で失敗した回数です。そして、ネズミは二つの群に分けられます。1つは、全ての試行回でゴールにたどり着いたらえさを与える群です。もう一つは、最初の数回ではゴールに着いてもえさを与えないけど、途中から餌を与えるようにする群です。ネズミがちゃんと課題をやるようにするため、多少空腹の状態にもさせます。お腹が減っているので早くえさを食べたい、そのためには間違った道を通らず、正しい道を行くことが必要になります。
実験の詳細については忘れたので、仮に10回迷路課題をさせたとします。すべての試行回でえさを与えられる群は1~10回でゴールに着いたらえさを与えられるとします。途中の試行回からえさを与えられた群は、1~4回はゴールに着いてもえさを与えず、5~10回にはゴールに着いたら餌を与えたとします。
下のグラフは、最初の試行回からえさを与えられた群の結果を示すグラフだと思ってください。縦軸が失敗した回数、横軸が試行回数(何回目)です。徐々に失敗回数が少なくなっているので、課題をするたびに迷路の道を覚えていることがわかります。特に、最初の数回では成績の伸びがいいこともわかります。
続いて、1~4回は餌なし、5~10回は餌ありの群の結果です。1~10回でえさありの群の結果と比べると、最初の5回は成績の伸びが良くありません。しかし、えさを与えられた次の6回目からは急に成績が伸びます。1~10回でえさありの群でも最初の数回の伸びは他と比べるといいのですが、それよりも急激に成績が伸びていることがわかります。
この実験で考察すべき点は、途中からえさを与えられた群の、えさを与えられた次の回からの急激な成績の伸びです。なぜ、最初からえさを与えられた群の最初の数回よりも成績の伸びがいいのか?ということです。どうしてかというと、最初の4回の時に迷路の道をある程度学習していたが、その成果をそのときには出さなかったからです。なぜ、えさを与えられた次の回から成績が伸びたかというと、迷路を早くクリアするための動機付けができた、つまり、理由ができたからといえます。
要するに、学習していてもそれを発揮する必要がないならば、その成果は出ないことがある、ということを示しています。成果は出ないけど学習はしていることを潜在学習といいます。
前回の記事で、強い人とやると普段できないことをするようになった、というエピソードについて書きました。なぜそんなことになるのかという答えが、上記の潜在学習が顕在化したのではないか?と、私は思ったのです。普段一緒にテニスをしている人が相手の場合は潜在学習したことをする必要はないけど、それよりも強い人とやりあうためにはする必要があったため、潜在学習がしていたことが顕在化された、ということです。
このように考えると、潜在学習を顕在化するには、普段大会に出ないけど出てみる、自分よりも1ランク、2ランク強い人とやる、ということが有効なのかなぁ…とも思います。大会で第1シードの下に入っちゃった!ということがあっても、それは潜在学習を顕在化させるチャンスかも知れない!と前向きに考えた方が有益でもあると思います。
実験では、ネズミに迷路課題をさせました。測定したのは、試行回数毎における、ゴールに着くまでに行き止まりに行ってしまった回数です。簡単にいえば、迷路で失敗した回数です。そして、ネズミは二つの群に分けられます。1つは、全ての試行回でゴールにたどり着いたらえさを与える群です。もう一つは、最初の数回ではゴールに着いてもえさを与えないけど、途中から餌を与えるようにする群です。ネズミがちゃんと課題をやるようにするため、多少空腹の状態にもさせます。お腹が減っているので早くえさを食べたい、そのためには間違った道を通らず、正しい道を行くことが必要になります。
実験の詳細については忘れたので、仮に10回迷路課題をさせたとします。すべての試行回でえさを与えられる群は1~10回でゴールに着いたらえさを与えられるとします。途中の試行回からえさを与えられた群は、1~4回はゴールに着いてもえさを与えず、5~10回にはゴールに着いたら餌を与えたとします。
下のグラフは、最初の試行回からえさを与えられた群の結果を示すグラフだと思ってください。縦軸が失敗した回数、横軸が試行回数(何回目)です。徐々に失敗回数が少なくなっているので、課題をするたびに迷路の道を覚えていることがわかります。特に、最初の数回では成績の伸びがいいこともわかります。
続いて、1~4回は餌なし、5~10回は餌ありの群の結果です。1~10回でえさありの群の結果と比べると、最初の5回は成績の伸びが良くありません。しかし、えさを与えられた次の6回目からは急に成績が伸びます。1~10回でえさありの群でも最初の数回の伸びは他と比べるといいのですが、それよりも急激に成績が伸びていることがわかります。
この実験で考察すべき点は、途中からえさを与えられた群の、えさを与えられた次の回からの急激な成績の伸びです。なぜ、最初からえさを与えられた群の最初の数回よりも成績の伸びがいいのか?ということです。どうしてかというと、最初の4回の時に迷路の道をある程度学習していたが、その成果をそのときには出さなかったからです。なぜ、えさを与えられた次の回から成績が伸びたかというと、迷路を早くクリアするための動機付けができた、つまり、理由ができたからといえます。
要するに、学習していてもそれを発揮する必要がないならば、その成果は出ないことがある、ということを示しています。成果は出ないけど学習はしていることを潜在学習といいます。
前回の記事で、強い人とやると普段できないことをするようになった、というエピソードについて書きました。なぜそんなことになるのかという答えが、上記の潜在学習が顕在化したのではないか?と、私は思ったのです。普段一緒にテニスをしている人が相手の場合は潜在学習したことをする必要はないけど、それよりも強い人とやりあうためにはする必要があったため、潜在学習がしていたことが顕在化された、ということです。
このように考えると、潜在学習を顕在化するには、普段大会に出ないけど出てみる、自分よりも1ランク、2ランク強い人とやる、ということが有効なのかなぁ…とも思います。大会で第1シードの下に入っちゃった!ということがあっても、それは潜在学習を顕在化させるチャンスかも知れない!と前向きに考えた方が有益でもあると思います。
2008年04月04日
コートの奥行きが広く見える錯視
今月からテニススクールのクラスを中級から上級にしました。それに伴ってコートも変わったのですが、なんだか違和感がありました。打ち合う相手が遠くに見えるような、ネットを挟んだコートの向こう側が遠く見えるような感じでした。自分が打った球はいつもより遠くに行くような感覚でしたが、一番厄介だったのは相手が打った球の距離感がおかしく感じたことでした。いつもより遠くから打たれているに見えるので、本来なら深い球でも浅い球であると感じてしまうため、十分に後ろに下がって打つことができず、ライジングで打ち返していました。
結局そのコートに慣れてしまって問題はなかったのですが、どうしてあんな風に感じるんだろうかと考えていたら、照明による錯視(目の錯覚)だろうと自分で結論付けました。
そのコートの照明はコートの中央(ネット)にあるのですが、コートの端の方(ベースラインの壁際)にはありません。そのため、ネット付近が最も明るく、ベースライン側に行くにつれて暗くなっていました。
さらに、ベースラインの奥の壁は、床のところが最も明るく、天井側に行くにつれて暗くなっていました。
そのような状況がどのような錯視をもたらすと考えたのかというと、これです。
平面上の2次元の画像なのに、上側に向かって暗くなっている〇は凹んで見え、下側に向かって暗くなっている〇は出っ張っているように見えます。
コートの話に戻すと、私が見ていた風景は、自分の足元から奥に向かって暗くなっていき、奥の壁は下から上に向かって暗くなっていました。つまり、私が見ている風景は下側から上側に向かって暗くなっていました。奥行きが広く見えていた理由は、その風景は上側に向かって暗くなっている〇と同様に見えていたためで、実際の奥行きよりも奥にあると錯覚していたからである、という結論になりました。
最後に、上側が暗い〇が凹んで見え、下側が暗い〇が出っ張って見える理由を説明します。我々は、光は上から下に向かって当たるものだという概念を持っており、その概念を使って目から得た感覚を解釈するためです。目から得た感覚をありのままに解釈するのではないのです。上側が暗い〇を、平面上に存在する上側が暗い色の〇である、とありのままに解釈しません。〇の上側が暗く見えるのは上から光が当たっているからである、つまり、〇は凹んでいるのである、と解釈するのです。
偏見やバイアスを持たずに物事を見ることの難しさを示す、好事例だと思います。
結局そのコートに慣れてしまって問題はなかったのですが、どうしてあんな風に感じるんだろうかと考えていたら、照明による錯視(目の錯覚)だろうと自分で結論付けました。
そのコートの照明はコートの中央(ネット)にあるのですが、コートの端の方(ベースラインの壁際)にはありません。そのため、ネット付近が最も明るく、ベースライン側に行くにつれて暗くなっていました。
さらに、ベースラインの奥の壁は、床のところが最も明るく、天井側に行くにつれて暗くなっていました。
そのような状況がどのような錯視をもたらすと考えたのかというと、これです。
平面上の2次元の画像なのに、上側に向かって暗くなっている〇は凹んで見え、下側に向かって暗くなっている〇は出っ張っているように見えます。
コートの話に戻すと、私が見ていた風景は、自分の足元から奥に向かって暗くなっていき、奥の壁は下から上に向かって暗くなっていました。つまり、私が見ている風景は下側から上側に向かって暗くなっていました。奥行きが広く見えていた理由は、その風景は上側に向かって暗くなっている〇と同様に見えていたためで、実際の奥行きよりも奥にあると錯覚していたからである、という結論になりました。
最後に、上側が暗い〇が凹んで見え、下側が暗い〇が出っ張って見える理由を説明します。我々は、光は上から下に向かって当たるものだという概念を持っており、その概念を使って目から得た感覚を解釈するためです。目から得た感覚をありのままに解釈するのではないのです。上側が暗い〇を、平面上に存在する上側が暗い色の〇である、とありのままに解釈しません。〇の上側が暗く見えるのは上から光が当たっているからである、つまり、〇は凹んでいるのである、と解釈するのです。
偏見やバイアスを持たずに物事を見ることの難しさを示す、好事例だと思います。
2008年03月29日
内発的動機付けと外発的動機付け
動機付けはやる気とかモチベーションと同じ意味ですが、心理学では「動機付け」という用語が一般的なので、「動機付け」という用語を使いたいと思います。
今回取り上げるのは、内発的動機付けと外発的動機付けです。
内発的動機付けは、やろうとしていることそれ自体が動機付けになるものを言います。テニスで例えると、テニスすることが楽しい、上手くなっていくことが嬉しい、試合の興奮がたまらない…などなどが挙げられると思います。我々がスポーツを楽しむ、というのは内発的動機付けに当たります。自分の内面に由来する動機付けなので、「内発的」動機付けと言われます。
外発的動機付けは、やろうとしていること自体ではなく、それをすることによって得られる報酬、避けることができる罰によるものです。大会でもらえる賞品、他人からの称賛、親にやれと言われている…などが挙げられます。自分の内面ではなく、外部からの報酬や罰に由来する動機付けなので、「外発的」動機付けと言われます。
内発的動機付けと外発的動機付けの関係についてです。理想としては内発的動機付けと外発的動機付けの両方とも高い方がいいです。なので、内発的動機付けが低い選手に外発的動機付けをあたえればよい、という考えになります。しかし、外発的動機付けを高めると内発的動機付けが低くなってしまうことが多くの研究で示唆されています。
それを示す一つの実験として、Deci(1972)の実験があります。被験者に立体のパズルを制限時間内にできるだけ多く完成させてもらう、という課題をしてもらいます。
「SOMA」というもので、様々な形のパズルを組み合わせて、指定された形にするという課題です。
被験者は、パズルを1個完成させる毎に報酬として1ドル与えられる群と、報酬が全く与えられない群に分けられます。報酬あり群は、報酬なし群よりも外発的動機付けが高いと言えます。
その2つの群の間で何を比較するかというと、制限時間内で完成させたパズルの個数…ではありません。被験者が課題をやり終えると、実験者が、5~10分くらい部屋を離れること、その間パズルをやるなり雑誌を読むなり自由にしててよい、ということを告げて部屋を立ち去ります。測定したのは、実験者が部屋を離れているときに、被験者がパズルで遊んでいた時間でした。実験者にやれとも言われていない、報酬も与えられないという条件下でパズルに費やした時間が、内発的動機付けを表す測定指標である、ということです。
その時間を、報酬あり群となし群とで比較すると、報酬あり群の平均は約100秒、なし群の平均は約200秒という、二つの群では大きく異なる結果でした。この結果から、外発的動機付けを高めると内発的動機付けが低下する、と考察されます。
(話題から外れますが、どうやって実験者が離れた後に被験者がパズルで遊んでいた時間を測定したかというと、マジックミラーから覗き見していたのです。現在では、このようなことは倫理的側面から行うことはできません。とはいえ、内発的動機付けを測定する指標を、実験者が離れたあとにパズルで遊んでいた時間としたのは素晴らしいアイディアだと思います。)
この実験のほかにも、プロ選手が高額の契約を結ぶと成績が悪くなるという調査もあるようです(Cox,1998)。
物事を続けるには、外発的動機付けよりも内発的動機付けが高い方がいいと言えます。ダイエットのためだけにテニスを始めようと思っても長続きしないでしょう。ダイエットのために運動するなら、自分がやりたいと思う運動が最も長続きすると思います。私はテニスが好きなのでテニスをたくさんしているのですが、いっこうに体重が減りません…どうしたものか…( ; ゚Д゚)
今回取り上げるのは、内発的動機付けと外発的動機付けです。
内発的動機付けは、やろうとしていることそれ自体が動機付けになるものを言います。テニスで例えると、テニスすることが楽しい、上手くなっていくことが嬉しい、試合の興奮がたまらない…などなどが挙げられると思います。我々がスポーツを楽しむ、というのは内発的動機付けに当たります。自分の内面に由来する動機付けなので、「内発的」動機付けと言われます。
外発的動機付けは、やろうとしていること自体ではなく、それをすることによって得られる報酬、避けることができる罰によるものです。大会でもらえる賞品、他人からの称賛、親にやれと言われている…などが挙げられます。自分の内面ではなく、外部からの報酬や罰に由来する動機付けなので、「外発的」動機付けと言われます。
内発的動機付けと外発的動機付けの関係についてです。理想としては内発的動機付けと外発的動機付けの両方とも高い方がいいです。なので、内発的動機付けが低い選手に外発的動機付けをあたえればよい、という考えになります。しかし、外発的動機付けを高めると内発的動機付けが低くなってしまうことが多くの研究で示唆されています。
それを示す一つの実験として、Deci(1972)の実験があります。被験者に立体のパズルを制限時間内にできるだけ多く完成させてもらう、という課題をしてもらいます。
「SOMA」というもので、様々な形のパズルを組み合わせて、指定された形にするという課題です。
被験者は、パズルを1個完成させる毎に報酬として1ドル与えられる群と、報酬が全く与えられない群に分けられます。報酬あり群は、報酬なし群よりも外発的動機付けが高いと言えます。
その2つの群の間で何を比較するかというと、制限時間内で完成させたパズルの個数…ではありません。被験者が課題をやり終えると、実験者が、5~10分くらい部屋を離れること、その間パズルをやるなり雑誌を読むなり自由にしててよい、ということを告げて部屋を立ち去ります。測定したのは、実験者が部屋を離れているときに、被験者がパズルで遊んでいた時間でした。実験者にやれとも言われていない、報酬も与えられないという条件下でパズルに費やした時間が、内発的動機付けを表す測定指標である、ということです。
その時間を、報酬あり群となし群とで比較すると、報酬あり群の平均は約100秒、なし群の平均は約200秒という、二つの群では大きく異なる結果でした。この結果から、外発的動機付けを高めると内発的動機付けが低下する、と考察されます。
(話題から外れますが、どうやって実験者が離れた後に被験者がパズルで遊んでいた時間を測定したかというと、マジックミラーから覗き見していたのです。現在では、このようなことは倫理的側面から行うことはできません。とはいえ、内発的動機付けを測定する指標を、実験者が離れたあとにパズルで遊んでいた時間としたのは素晴らしいアイディアだと思います。)
この実験のほかにも、プロ選手が高額の契約を結ぶと成績が悪くなるという調査もあるようです(Cox,1998)。
物事を続けるには、外発的動機付けよりも内発的動機付けが高い方がいいと言えます。ダイエットのためだけにテニスを始めようと思っても長続きしないでしょう。ダイエットのために運動するなら、自分がやりたいと思う運動が最も長続きすると思います。私はテニスが好きなのでテニスをたくさんしているのですが、いっこうに体重が減りません…どうしたものか…( ; ゚Д゚)
2007年09月06日
熟達者の視覚探索方略2
前回は周辺視について書きました。周辺視は物の動きや位置を知るための視覚で、「行動のための視覚」という働きをしています。相手の動きやボールの方向を早く見極める&予測するには、この周辺視を有効に使うことが必要になります。今回は剣道、野球のバッター、サッカーのディフェンダーの熟達者が、実際にどこを見ているのかについて書きたいと思います。
最初は剣道です。剣道の視覚探索の研究で、師範、大学生の熟達者、非熟達者が、模擬試合でどこを見ているのかを調べたものがあります。その結果は、熟達者ほど相手の面(目)を見ている割合が多いというものでした。非熟達者は胴、小手、竹刀など様々なところに視線を移していました。大学生の熟達者は、時折胴や竹刀に目を移すものの、試合時間の約8割は面に視線を向けていました。師範の場合は、95%ほど面に視線を向けていました。
剣道には「遠山の目付け」と呼ばれる視覚探索方略があるようで、「相手の竹刀などを局所的に見つめたりせず、遠くにある山を見るように、相手の目を中心に体全体をおおらかに見る」というものらしいです。
では、この「遠山の目付け」がなぜ有効なのかを周辺視の観点から説明します。まず、相手の目付近に視線を置いているのは、相手の目から情報を得るのではなくて、視線の仮の位置を定めています。この仮の視線の位置を「視支点」といいます。視支点は、広範囲の対象を見るときに、その対象の中心付近にとどめる仮想的な視線の支点です。視支点が置かれている位置には相手の動きに関する重要な情報はありませんが、その視支点の周辺部に重要な情報があります。周辺視はその名の通り、目の中心ではなく周辺で得られる視覚ですので、「遠山の目付け」は視支点の周辺部に存在する重要な情報を、周辺視を活用して効率的に得る方法といえます。
次に、野球のバッターについての研究です。結果は、非熟達者は相手の頭を中心に幅広い部分(頭から膝付近まで)に視線を動かしていましたが、熟達者は主に肩、胸部に視線を置き、ボールがリリースされるときには肘付近に視線を動かしていました。このケースでは、熟達者は視支点を相手投手の肘付近に置くことによって周辺視で相手の全体像を捉え、投球動作から動きに関する情報を効率的に得ていると考えられます。
最後にサッカーです。この研究では、ディフェンダーがボールを持っている相手と1対1で対峙しているときにどこを見ているかを調べたものです。結果は、非熟達者は主にボール付近に視線を置き、熟達者はボールだけでなく相手の膝や足先に視線を移動させていました。熟達者はボールから目を離して相手の膝付近に視支点を置くことで相手全体の動きを周辺視で捉え、相手の動きを予測しているものと考えられます。
剣道、野球、サッカーの研究について書きましたが、テニスではどうなんでしょうか?テニスの視覚探索の研究が見当たらないので、上に書いた3つの研究から消去法で考えてみます。
まず、サッカーの非熟達者のように、ボールに視線を置くのはよくないでしょう。これでは相手の動きの情報を得ることが出来ず、予測できません。また、剣道や野球の非熟達者のように、広範囲に視線を動かすことや局所を見つめるのもよくないと考えられます。周辺視で効率的に動きに関する情報を得るには、視支点を定める必要があるからです。では、視線(視支点)をどこに置けばいいのかという話になります。テニスで相手の動き(打つ方向)を予測するには、相手のラケットの動きや足の向きが重要になるのではないかと思います。こう考えると、その2つの中心となるところ、体の中心付近に視支点を置けばいいのかな…と思います…。
私にはこれが限界です…誰かテニスで研究してくれる人は現れないでしょうか…(;´∀`)
最初は剣道です。剣道の視覚探索の研究で、師範、大学生の熟達者、非熟達者が、模擬試合でどこを見ているのかを調べたものがあります。その結果は、熟達者ほど相手の面(目)を見ている割合が多いというものでした。非熟達者は胴、小手、竹刀など様々なところに視線を移していました。大学生の熟達者は、時折胴や竹刀に目を移すものの、試合時間の約8割は面に視線を向けていました。師範の場合は、95%ほど面に視線を向けていました。
剣道には「遠山の目付け」と呼ばれる視覚探索方略があるようで、「相手の竹刀などを局所的に見つめたりせず、遠くにある山を見るように、相手の目を中心に体全体をおおらかに見る」というものらしいです。
では、この「遠山の目付け」がなぜ有効なのかを周辺視の観点から説明します。まず、相手の目付近に視線を置いているのは、相手の目から情報を得るのではなくて、視線の仮の位置を定めています。この仮の視線の位置を「視支点」といいます。視支点は、広範囲の対象を見るときに、その対象の中心付近にとどめる仮想的な視線の支点です。視支点が置かれている位置には相手の動きに関する重要な情報はありませんが、その視支点の周辺部に重要な情報があります。周辺視はその名の通り、目の中心ではなく周辺で得られる視覚ですので、「遠山の目付け」は視支点の周辺部に存在する重要な情報を、周辺視を活用して効率的に得る方法といえます。
次に、野球のバッターについての研究です。結果は、非熟達者は相手の頭を中心に幅広い部分(頭から膝付近まで)に視線を動かしていましたが、熟達者は主に肩、胸部に視線を置き、ボールがリリースされるときには肘付近に視線を動かしていました。このケースでは、熟達者は視支点を相手投手の肘付近に置くことによって周辺視で相手の全体像を捉え、投球動作から動きに関する情報を効率的に得ていると考えられます。
最後にサッカーです。この研究では、ディフェンダーがボールを持っている相手と1対1で対峙しているときにどこを見ているかを調べたものです。結果は、非熟達者は主にボール付近に視線を置き、熟達者はボールだけでなく相手の膝や足先に視線を移動させていました。熟達者はボールから目を離して相手の膝付近に視支点を置くことで相手全体の動きを周辺視で捉え、相手の動きを予測しているものと考えられます。
剣道、野球、サッカーの研究について書きましたが、テニスではどうなんでしょうか?テニスの視覚探索の研究が見当たらないので、上に書いた3つの研究から消去法で考えてみます。
まず、サッカーの非熟達者のように、ボールに視線を置くのはよくないでしょう。これでは相手の動きの情報を得ることが出来ず、予測できません。また、剣道や野球の非熟達者のように、広範囲に視線を動かすことや局所を見つめるのもよくないと考えられます。周辺視で効率的に動きに関する情報を得るには、視支点を定める必要があるからです。では、視線(視支点)をどこに置けばいいのかという話になります。テニスで相手の動き(打つ方向)を予測するには、相手のラケットの動きや足の向きが重要になるのではないかと思います。こう考えると、その2つの中心となるところ、体の中心付近に視支点を置けばいいのかな…と思います…。
私にはこれが限界です…誰かテニスで研究してくれる人は現れないでしょうか…(;´∀`)
2007年09月05日
熟達者の視覚探索方略1
前回、スポーツの熟達者はどこを見ているのか(視覚探索方略)について書きましたが、重要な所を省略してしまった&それゆえ結論も違うことに気づいたので書き直します…。2回に分け書こうと思っており、1回目は中心視と周辺視について、2回目はそれを踏まえてスポーツにおける熟達者の視覚探索方略についてです。今回は中心視と周辺視について書きます。
まず、中心視・周辺視とは何かについてです。中心視は物の形や色を把握するための視覚です。例えば、字を見るときなどに用いられる視覚なので、自分にとって身近で理解しやすいと思います。また、その視野は中心付近で周辺視と比べて狭いものです。
もう1つの周辺視とは、物の動きや位置を把握するための視覚です。この視覚は無意識的な部分が多いので、中心視とは違って、分かりにくいものです。この視覚の視野は全体なので、中心視と比べてかなり広い視野を持っています。
この両方の視覚とも、眼球から情報を受容するのですが、その情報を処理する脳の部位が異なります。中心視の情報が脳に伝達する経路を腹側経路、周辺視の情報は背側経路といいます。
2つの視覚システムの違いを説明しましたが、もう1つ重要な違いがあります。それは、中心視は「知覚のための視覚」(それは何であるかを理解するための視覚、といえば分かりやすいでしょうか?)で、周辺視は「行動のための視覚」という点です。これだけではとても意味が分からないと思うので、それを示す臨床的研究を1つを紹介します。
ある女性は、事故により一酸化炭素中毒になり、一命は取り留めたものの目が見えなくなってしまいました。一酸化炭素中毒によって視覚を司る脳の部位が損傷してしまったからです。彼女は、目の前にある物の形や色が分かりませんし、どこにあるかも分かりませんでした。ですが、彼女が森を歩くときは、何があるのか見えないはずなのに、木の根っこや倒木を避けて歩くことができたのです。しかし、そのとき彼女は何が見えているのかは分からず、そのように避けて歩いていることも彼女自身はよく分からないという、不思議な症状を示していました。
その後、彼女を被験者とした研究を行なったところ、行動をするときには物が見えている、しかし、その見えているという経験は彼女の意識には上っていない、ということが示されました。どうしてこのようになったかというと、一酸化炭素中毒によって視覚を司る脳の部位が損傷してしまったのですが、その損傷した部位は、中心視の情報が脳に伝わる腹側経路で、周辺視の背側経路は無傷だったのです。
いろいろと書きましたが、スポーツにおいては「行動のための視覚」である周辺視が重要であると言えます(もちろん中心視も必要ですが)。次回はこの周辺視を踏まえて、様々なスポーツの熟達者の視覚探索方略について書きたいと思います。
まず、中心視・周辺視とは何かについてです。中心視は物の形や色を把握するための視覚です。例えば、字を見るときなどに用いられる視覚なので、自分にとって身近で理解しやすいと思います。また、その視野は中心付近で周辺視と比べて狭いものです。
もう1つの周辺視とは、物の動きや位置を把握するための視覚です。この視覚は無意識的な部分が多いので、中心視とは違って、分かりにくいものです。この視覚の視野は全体なので、中心視と比べてかなり広い視野を持っています。
この両方の視覚とも、眼球から情報を受容するのですが、その情報を処理する脳の部位が異なります。中心視の情報が脳に伝達する経路を腹側経路、周辺視の情報は背側経路といいます。
2つの視覚システムの違いを説明しましたが、もう1つ重要な違いがあります。それは、中心視は「知覚のための視覚」(それは何であるかを理解するための視覚、といえば分かりやすいでしょうか?)で、周辺視は「行動のための視覚」という点です。これだけではとても意味が分からないと思うので、それを示す臨床的研究を1つを紹介します。
ある女性は、事故により一酸化炭素中毒になり、一命は取り留めたものの目が見えなくなってしまいました。一酸化炭素中毒によって視覚を司る脳の部位が損傷してしまったからです。彼女は、目の前にある物の形や色が分かりませんし、どこにあるかも分かりませんでした。ですが、彼女が森を歩くときは、何があるのか見えないはずなのに、木の根っこや倒木を避けて歩くことができたのです。しかし、そのとき彼女は何が見えているのかは分からず、そのように避けて歩いていることも彼女自身はよく分からないという、不思議な症状を示していました。
その後、彼女を被験者とした研究を行なったところ、行動をするときには物が見えている、しかし、その見えているという経験は彼女の意識には上っていない、ということが示されました。どうしてこのようになったかというと、一酸化炭素中毒によって視覚を司る脳の部位が損傷してしまったのですが、その損傷した部位は、中心視の情報が脳に伝わる腹側経路で、周辺視の背側経路は無傷だったのです。
いろいろと書きましたが、スポーツにおいては「行動のための視覚」である周辺視が重要であると言えます(もちろん中心視も必要ですが)。次回はこの周辺視を踏まえて、様々なスポーツの熟達者の視覚探索方略について書きたいと思います。
2007年08月22日
ヌマウタスズメの過剰産出
ヌマウタスズメの歌(さえずり)の学習についての話です。
最初に、このスズメがどのように歌を学習するのかについて書きたいともいます。このスズメが生まれてだいたい生後9ヶ月までは親の歌を聞き、そのときから少しずつ歌います。そして、10ヶ月か11ヶ月くらいまで特徴を大げさに表現した、不規則な歌を歌います(過剰産出といいます)。その間に大げさに表現している歌を親の歌に合わせるようにして調整し、親と同じような完成した歌になります。学習しようとすることをしっかり観察する→それを大げさに実践してみる→それを完成品に合わせて調整する、という流れです。
このように、倣おうとするものを大げさにまねするという方法は、テニスで新しいことを身に着けるのにも有効だと思います。例えば、サーブがオーバーする傾向にあるなら前につんのめるほど前方向にトスを上げる、ローボレーのときに重心が高すぎるなら後ろ足の膝を地面につけるくらい曲げる…など、この過剰産出はたくさんの使い方があると思います。
最後に、なぜこの過剰産出が私たちの運動学習にも有効であると思うかについてです。これは私の持論なので聞き流しても結構です(;´∀`)鳥の歌は求愛に用いられるので、歌を上手に歌えないと子孫繁栄や種の存続の危機になります。歌を上手く学習できない鳥は、長い歴史の中で自然淘汰され絶滅するでしょう。ですので、歌の学習はより効率よく、より確実な方法である必要があります。このように考えると、ヌマウタスズメが現存しているということは、ヌマウタスズメの過剰産出という学習方法は進化と自然淘汰の長い歴史の中で洗練された、効率的で確実な学習方法である、ということを示していると私は思っています。
最初に、このスズメがどのように歌を学習するのかについて書きたいともいます。このスズメが生まれてだいたい生後9ヶ月までは親の歌を聞き、そのときから少しずつ歌います。そして、10ヶ月か11ヶ月くらいまで特徴を大げさに表現した、不規則な歌を歌います(過剰産出といいます)。その間に大げさに表現している歌を親の歌に合わせるようにして調整し、親と同じような完成した歌になります。学習しようとすることをしっかり観察する→それを大げさに実践してみる→それを完成品に合わせて調整する、という流れです。
このように、倣おうとするものを大げさにまねするという方法は、テニスで新しいことを身に着けるのにも有効だと思います。例えば、サーブがオーバーする傾向にあるなら前につんのめるほど前方向にトスを上げる、ローボレーのときに重心が高すぎるなら後ろ足の膝を地面につけるくらい曲げる…など、この過剰産出はたくさんの使い方があると思います。
最後に、なぜこの過剰産出が私たちの運動学習にも有効であると思うかについてです。これは私の持論なので聞き流しても結構です(;´∀`)鳥の歌は求愛に用いられるので、歌を上手に歌えないと子孫繁栄や種の存続の危機になります。歌を上手く学習できない鳥は、長い歴史の中で自然淘汰され絶滅するでしょう。ですので、歌の学習はより効率よく、より確実な方法である必要があります。このように考えると、ヌマウタスズメが現存しているということは、ヌマウタスズメの過剰産出という学習方法は進化と自然淘汰の長い歴史の中で洗練された、効率的で確実な学習方法である、ということを示していると私は思っています。
2007年08月18日
固有FBと付加的FB
前回では固有フィードバック、とりわけ内在フィードバックについていろいろと書きました。今回は付加的フィードバックについてです。(以下、フィードバックをFBと略します)
運動学習のFBを簡単にまとめると、
1、固有FB…運動遂行者自身の感覚から得られるFB
1-1、内在FB…筋肉、感覚、皮膚の感覚から得られるFB
1-2、外在FB…視覚、聴覚から得られるFB
2、付加的FB…他者やビデオなどから得られるFB
となります。大きく分けて固有FBと付加的FBの2種類で、固有FBも内在FBと外在FBの2種類に分けられます。それぞれのFBの説明については前回の記事を見てください。
前回では、運動学習には固有FB、特に内在FBが重要と言いましたが、付加的FBが不必要であるというわけではありません。外在FBに注意が向きにくいため内在FBは気づき難いですが、その気づき難い分を補うために付加的FBを与えられます。
しかし、付加的FBをたくさん与えればよいという訳ではないようです。付加的FBはパフォーマンス(そのときの成績)を向上することができますが、付加的FBへの依存を高めてしまうことで本来重要な固有FBが得難くなり、学習には効果的ではないという指摘があるようです。なんとも難しいですね…。コーチはこんなことを考えて指導するとなると大変ですね(;´∀`)
付加的FBの呈示方法にもいろいろあって、いつFBを与えるか、どれくらいの頻度で与えるのか、どれくらい具体的にあたえるのか、学習者が必要なときだけ与えるのか…などなど、考え所が非常に多いです。
最後に、付加的FBの有効的な与え方をまとめておきます。
1、失敗を指摘するのではなく、修正点を伝える。
2、最小限にする。
あまりに多いと固有FBの処理が出来なくなる。
時間的に長すぎるのもよくない。固有FBと付加的FBの照合が困難になる。
(照合するというのは、学習者自身が固有FBと付加的FBを
比較して次にどうすればいいかを考える、ということです)
一度に多くのことを伝えるのも同様によくない。
3、出来るだけ具体的に伝える。
打点をもっと前にする、と言うより、今のよりも30cm前にする、と言うように。
4、運動後に少し間をおきつつ、早く伝える。
固有FBの情報は非常に短い間しか保持されないと考えられており、
時間を置いて付加的FBを与えると、付加的FBと固有FBの照合が難しい。
しかし、学習者が固有FBを処理する(考える)時間も必要なので、
即時に付加的FBを与えると付加的FBの依存傾向を高める恐れがある。
5、学習者にどのようなことを考えているのか、
何を教えて欲しいのか聞いてみる。
6、FBを多様な媒体で伝える。
(言葉で伝える、実際にやってみせるデモンストレーションなど)
本に書いてあるのをまとめてみたんですが、こうしてはいけない、だけどああしてもいけない、という項目が目立ちます。上手に教えるにはたくさんの経験が必要だ、ということでしょうか。
次回はメンタルトレーニングについて書きたいと思います。
運動学習のFBを簡単にまとめると、
1、固有FB…運動遂行者自身の感覚から得られるFB
1-1、内在FB…筋肉、感覚、皮膚の感覚から得られるFB
1-2、外在FB…視覚、聴覚から得られるFB
2、付加的FB…他者やビデオなどから得られるFB
となります。大きく分けて固有FBと付加的FBの2種類で、固有FBも内在FBと外在FBの2種類に分けられます。それぞれのFBの説明については前回の記事を見てください。
前回では、運動学習には固有FB、特に内在FBが重要と言いましたが、付加的FBが不必要であるというわけではありません。外在FBに注意が向きにくいため内在FBは気づき難いですが、その気づき難い分を補うために付加的FBを与えられます。
しかし、付加的FBをたくさん与えればよいという訳ではないようです。付加的FBはパフォーマンス(そのときの成績)を向上することができますが、付加的FBへの依存を高めてしまうことで本来重要な固有FBが得難くなり、学習には効果的ではないという指摘があるようです。なんとも難しいですね…。コーチはこんなことを考えて指導するとなると大変ですね(;´∀`)
付加的FBの呈示方法にもいろいろあって、いつFBを与えるか、どれくらいの頻度で与えるのか、どれくらい具体的にあたえるのか、学習者が必要なときだけ与えるのか…などなど、考え所が非常に多いです。
最後に、付加的FBの有効的な与え方をまとめておきます。
1、失敗を指摘するのではなく、修正点を伝える。
2、最小限にする。
あまりに多いと固有FBの処理が出来なくなる。
時間的に長すぎるのもよくない。固有FBと付加的FBの照合が困難になる。
(照合するというのは、学習者自身が固有FBと付加的FBを
比較して次にどうすればいいかを考える、ということです)
一度に多くのことを伝えるのも同様によくない。
3、出来るだけ具体的に伝える。
打点をもっと前にする、と言うより、今のよりも30cm前にする、と言うように。
4、運動後に少し間をおきつつ、早く伝える。
固有FBの情報は非常に短い間しか保持されないと考えられており、
時間を置いて付加的FBを与えると、付加的FBと固有FBの照合が難しい。
しかし、学習者が固有FBを処理する(考える)時間も必要なので、
即時に付加的FBを与えると付加的FBの依存傾向を高める恐れがある。
5、学習者にどのようなことを考えているのか、
何を教えて欲しいのか聞いてみる。
6、FBを多様な媒体で伝える。
(言葉で伝える、実際にやってみせるデモンストレーションなど)
本に書いてあるのをまとめてみたんですが、こうしてはいけない、だけどああしてもいけない、という項目が目立ちます。上手に教えるにはたくさんの経験が必要だ、ということでしょうか。
次回はメンタルトレーニングについて書きたいと思います。
2007年08月17日
フィードバックと運動学習モデル
スポーツ心理学の本を読み始めて少し経ちますが、第一弾です。フィードバックと運動学習モデルについてです。書いてみたら長くなってしまったので、目次みたいなものを書きます。
①フィードバックとは
②固有フィードバック(内在・外在フィードバック)と付加的フィードバック
③運動学習においてどのフィードバックが重要か
④運動学習モデルにおいて内在フィードバックが重要な理由
⑤次回予告(固有フィードバックと付加的フィードバックの関係)
③に私の言いたいことを書きました。
①②はそのために必要な説明です(長いですけど…)。
興味と余力がある方は④も読んでみてください。
①
フィードバックはそのままでも日本語で通じることが多いと思いますが、もともとは工学用語のようでして、「あるシステムにおいて出力情報を何らかの形で入力側にもどすこと」という意味だそうです。心理学で使われる場合は、「行動の結果や過程の情報を得て、その情報をもとに行動を修正すること」という意味合いになると思います。
②
運動学習におけるフィードバックには大きく分けて2種類あります。1つは、行動を行なった人がその行動をしたときの自分の感覚から得ることが出来る固有フィードバックというものです。もう1つは、他者や撮影したビデオなどから得ることが出来る、付加的フィードバックというものです。ややこしいですが、固有フィードバックも2種類に分けられまして、内在フィードバックと外在フィードバックがあります。内在フィードバックはどれだけ力を入れたかとか、どんな感触だったかとか、どれくらい関節を曲げたのか、といった事に関するフィードバックです。外在フィードバックは、自分が打った球がアウトになったかとか、打球音がどうだったのか、といったことに関するものです。この2つをまとめると、内在フィードバックは筋肉、関節、皮膚からの感覚(自分の体の中で起こったことに関する感覚)、外在フィードバックは視覚と聴覚(外界で起こったことに関する感覚)からのフィードバックです。
③
運動の学習において最も重要なフィードバックは内在フィードバックのようです。ほとんどの人がそんなことを気にしないでテニスをしていると思います(私も…)。ヒトは視覚優位な動物なので、どうしても目に見えて分かりやすい、外在フィードバックに気をとられてしまうからです。(余談ですが、ヒトが対面で会話しているとき、コミュニケーションの80%は視覚的な情報によって伝達されていると言われています)ですので、注意が向きにくい筋肉、関節、皮膚からの感覚を意識することで、内在フィードバックの質が向上すると考えられます。例えば、今の力の入れ具合だと少し短いからもう少し力を入れてみよう、今のローボレーよりもっと膝を曲げて打ったらどうなるかな、薄い当たりの感触だったので、もう少し厚い当たりになるようにしてみよう、などなどです。
④
なぜ内在フィードバックが最も重要なのかについてです。ヒトがどのようにして運動を制御しているかを示すモデルは色々ありますが、その多くで内在フィードバックが最も運動学習に有効と言われています。その中の運動学習のスキーマ理論のモデルで説明します。始めに、このモデルを簡単に説明します(必要な所をかいつまんで…)。ヒトがある運動をするときに、この筋肉はこれくらい収縮させて、この関節はこれくらい曲げて…といったのように、それぞれの器官に逐一入力するのではないと考えるのが妥当とされています。このように制御すると情報処理量が莫大になってしまうからです。スキーマ理論では、運動を制御するプログラムが作られており、ひとつのまとまりが形成されていると考えられています。極端に言うと、1つの入力によっての複数の器官に出力されるということです。そのプログラミングはフィードバックによって形成されます。物を掴むという運動は、日常で繰り返して行なう運動で普段からフィードバックが積み重ねられているため、誰でも物を掴むという運動のプログラムが形成されています。ですが、テニスのストロークのような非日常的で複雑な運動は、プログラミングの形成に多くの時間と手間が掛かってしまいます。プログラミングの形成に最も直結している(近い)フィードバックが、内在フィードバックであるということから最も重要であると言われています。物を掴むという行動を始め、運動の本質は視覚的な感覚によるものではなくて、筋骨格筋と皮膚の感覚によるものである、ということだと思います。(ここらのことが本にはっきりと書かれていないので曖昧ですが…)
ここまで書くのに1時間半掛かりました…疲れた(;´∀`)
⑤
次は固有フィードバックと付加的フィードバックの関係についてです。このままでは、内在フィードバックが重要なら、教えてもらうといった付加的フィードバックはいらないじゃん、ということになりますからね。
①フィードバックとは
②固有フィードバック(内在・外在フィードバック)と付加的フィードバック
③運動学習においてどのフィードバックが重要か
④運動学習モデルにおいて内在フィードバックが重要な理由
⑤次回予告(固有フィードバックと付加的フィードバックの関係)
③に私の言いたいことを書きました。
①②はそのために必要な説明です(長いですけど…)。
興味と余力がある方は④も読んでみてください。
①
フィードバックはそのままでも日本語で通じることが多いと思いますが、もともとは工学用語のようでして、「あるシステムにおいて出力情報を何らかの形で入力側にもどすこと」という意味だそうです。心理学で使われる場合は、「行動の結果や過程の情報を得て、その情報をもとに行動を修正すること」という意味合いになると思います。
②
運動学習におけるフィードバックには大きく分けて2種類あります。1つは、行動を行なった人がその行動をしたときの自分の感覚から得ることが出来る固有フィードバックというものです。もう1つは、他者や撮影したビデオなどから得ることが出来る、付加的フィードバックというものです。ややこしいですが、固有フィードバックも2種類に分けられまして、内在フィードバックと外在フィードバックがあります。内在フィードバックはどれだけ力を入れたかとか、どんな感触だったかとか、どれくらい関節を曲げたのか、といった事に関するフィードバックです。外在フィードバックは、自分が打った球がアウトになったかとか、打球音がどうだったのか、といったことに関するものです。この2つをまとめると、内在フィードバックは筋肉、関節、皮膚からの感覚(自分の体の中で起こったことに関する感覚)、外在フィードバックは視覚と聴覚(外界で起こったことに関する感覚)からのフィードバックです。
③
運動の学習において最も重要なフィードバックは内在フィードバックのようです。ほとんどの人がそんなことを気にしないでテニスをしていると思います(私も…)。ヒトは視覚優位な動物なので、どうしても目に見えて分かりやすい、外在フィードバックに気をとられてしまうからです。(余談ですが、ヒトが対面で会話しているとき、コミュニケーションの80%は視覚的な情報によって伝達されていると言われています)ですので、注意が向きにくい筋肉、関節、皮膚からの感覚を意識することで、内在フィードバックの質が向上すると考えられます。例えば、今の力の入れ具合だと少し短いからもう少し力を入れてみよう、今のローボレーよりもっと膝を曲げて打ったらどうなるかな、薄い当たりの感触だったので、もう少し厚い当たりになるようにしてみよう、などなどです。
④
なぜ内在フィードバックが最も重要なのかについてです。ヒトがどのようにして運動を制御しているかを示すモデルは色々ありますが、その多くで内在フィードバックが最も運動学習に有効と言われています。その中の運動学習のスキーマ理論のモデルで説明します。始めに、このモデルを簡単に説明します(必要な所をかいつまんで…)。ヒトがある運動をするときに、この筋肉はこれくらい収縮させて、この関節はこれくらい曲げて…といったのように、それぞれの器官に逐一入力するのではないと考えるのが妥当とされています。このように制御すると情報処理量が莫大になってしまうからです。スキーマ理論では、運動を制御するプログラムが作られており、ひとつのまとまりが形成されていると考えられています。極端に言うと、1つの入力によっての複数の器官に出力されるということです。そのプログラミングはフィードバックによって形成されます。物を掴むという運動は、日常で繰り返して行なう運動で普段からフィードバックが積み重ねられているため、誰でも物を掴むという運動のプログラムが形成されています。ですが、テニスのストロークのような非日常的で複雑な運動は、プログラミングの形成に多くの時間と手間が掛かってしまいます。プログラミングの形成に最も直結している(近い)フィードバックが、内在フィードバックであるということから最も重要であると言われています。物を掴むという行動を始め、運動の本質は視覚的な感覚によるものではなくて、筋骨格筋と皮膚の感覚によるものである、ということだと思います。(ここらのことが本にはっきりと書かれていないので曖昧ですが…)
ここまで書くのに1時間半掛かりました…疲れた(;´∀`)
⑤
次は固有フィードバックと付加的フィードバックの関係についてです。このままでは、内在フィードバックが重要なら、教えてもらうといった付加的フィードバックはいらないじゃん、ということになりますからね。
2007年08月03日
ルーティン~条件付けの観点から~
最近、ルーティンという言葉をよく聞きます。ウィンブルドンではナダルのルーティンについて注目が集まりました。そこで、ルーティンにはどのような有用性があるのかを自分なりに考えてみまして、「練習通りの調子(落ち着き)でプレーできるようになる」のではないかと思いました。そして、これを「条件付け」で説明できるのではないかと考えました。
「条件付け」に聞き覚えがない人は多いと思いますが、パブロフの犬なら聞いたことがあると思います。犬に肉を見せると唾液が分泌されます。ベル音を聞かせても唾液は分泌されません。しかし、肉を見せると同時にベル音を聞かせるということを数回行なうと、肉を見せずにベル音を聞いただけでも唾液が分泌されるようになる、という現象です。このようなことがどのように起こるかについては諸説ありますが、2つの出来事が結びついた、と言えば分かりやすいでしょうか。
それを踏まえて「練習通りの調子(落ち着き)でプレーできるようになる」についての説明です。ルーティンとして行なう行為自体には何の意味は持ちません。(ゲームが始まる前に靴下を直す、という行為をするだけでパフォーマンスが良くなることは考えられないでしょう…)ですが、リラックスした状態の練習で何度もルーティンを行なうと、「リラックスした状態」と「ルーティンを行なうこと」の2つが結びつく可能性が考えられます。ですので、試合などの緊張する場面でも普段から行なっているルーティンをすることで、練習のときのようにリラックスした状態になる、ということです。
…以上のように考えましたが、必ずしもルーティンがリラックス状態に結びつくとは限りません。犬と比べてヒトはずっと複雑ですからね。でも、条件付けはヒトにも起こります。自分以外の店員が「いらっしゃいませ!」と言ったらその後に自分も「いらっしゃいませ!」と復唱するバイトをしていると、他の関係ない店に客としているときに店員が「いらっしゃいませ!」と言ったら、自分も「いらっしゃいませ!」と言ってしまうとか…。「いらっしゃいませ!と聞くこと」と、「いらっしゃいませ!と言うこと」が結びついたんでしょうかね…自分の体験談でした(;´∀`)
「条件付け」に聞き覚えがない人は多いと思いますが、パブロフの犬なら聞いたことがあると思います。犬に肉を見せると唾液が分泌されます。ベル音を聞かせても唾液は分泌されません。しかし、肉を見せると同時にベル音を聞かせるということを数回行なうと、肉を見せずにベル音を聞いただけでも唾液が分泌されるようになる、という現象です。このようなことがどのように起こるかについては諸説ありますが、2つの出来事が結びついた、と言えば分かりやすいでしょうか。
それを踏まえて「練習通りの調子(落ち着き)でプレーできるようになる」についての説明です。ルーティンとして行なう行為自体には何の意味は持ちません。(ゲームが始まる前に靴下を直す、という行為をするだけでパフォーマンスが良くなることは考えられないでしょう…)ですが、リラックスした状態の練習で何度もルーティンを行なうと、「リラックスした状態」と「ルーティンを行なうこと」の2つが結びつく可能性が考えられます。ですので、試合などの緊張する場面でも普段から行なっているルーティンをすることで、練習のときのようにリラックスした状態になる、ということです。
…以上のように考えましたが、必ずしもルーティンがリラックス状態に結びつくとは限りません。犬と比べてヒトはずっと複雑ですからね。でも、条件付けはヒトにも起こります。自分以外の店員が「いらっしゃいませ!」と言ったらその後に自分も「いらっしゃいませ!」と復唱するバイトをしていると、他の関係ない店に客としているときに店員が「いらっしゃいませ!」と言ったら、自分も「いらっしゃいませ!」と言ってしまうとか…。「いらっしゃいませ!と聞くこと」と、「いらっしゃいませ!と言うこと」が結びついたんでしょうかね…自分の体験談でした(;´∀`)
2007年07月12日
何色のグリップが合うか?
様々な色のグリップテープが売られています。自分が使うラケットですからかっこよくしたいものです。そのためには何色のテープを買うべきか迷う人も多いでしょう。
心理学には色彩心理学という分野があります。これは色が人に与える影響や人が色に持つ印象について研究する分野です。比較的新しい分野ですが、どの色の組み合わせが好ましく感じられるのか?という疑問については多くの研究や理論が提唱されています。その理論の多くが、類似している組み合わせと対比的な組み合わせが調和していると感じられる、としています。では、類似している色、対比的な色とは何を指すのでしょうか?
この図は色相環というものです。
ヒトは光の波長から色を感じており、受容できる波長は約400~800nmです。その中で、400~435nmを紫、435~480nmを青、490~500をnm赤、500~560nmを緑、580~595nmを黄、610~750nmを赤と感じ取ります。色相環はこの順番に色を円状に配置したものです。
そして、調和していると感じる類似している色とは両隣近辺の色、対比的な色とは対角線上の色のことをいいます。黄色を例にとると、類似しているのはオレンジや黄緑、対比しているのは青や紫となります。
白、黒は上の図にありません。白と黒は色ではなく、明るさを示すものとされています。上の図は色相環は2次元ですが、本来は白・黒の明るさを含めた3次元で、2つの円錐の底面同士をくっつけたような形になります。片方の頂点が白、もう一方が黒、2つの円錐がくっついている底面が上の図の色相環になります。底面から白の頂点に進むにつれて色は明るくなり、逆に黒の頂点に進むにつれて暗くなります。
最後にまとめますと、ラケットに合うグリップテープやストリングの色については2つのアプローチがあります。1つはラケットと同じような色を組み合わせること、もう1つは対比的な色を組み合わせることです。参考になればと思います。
心理学には色彩心理学という分野があります。これは色が人に与える影響や人が色に持つ印象について研究する分野です。比較的新しい分野ですが、どの色の組み合わせが好ましく感じられるのか?という疑問については多くの研究や理論が提唱されています。その理論の多くが、類似している組み合わせと対比的な組み合わせが調和していると感じられる、としています。では、類似している色、対比的な色とは何を指すのでしょうか?
この図は色相環というものです。
ヒトは光の波長から色を感じており、受容できる波長は約400~800nmです。その中で、400~435nmを紫、435~480nmを青、490~500をnm赤、500~560nmを緑、580~595nmを黄、610~750nmを赤と感じ取ります。色相環はこの順番に色を円状に配置したものです。
そして、調和していると感じる類似している色とは両隣近辺の色、対比的な色とは対角線上の色のことをいいます。黄色を例にとると、類似しているのはオレンジや黄緑、対比しているのは青や紫となります。
白、黒は上の図にありません。白と黒は色ではなく、明るさを示すものとされています。上の図は色相環は2次元ですが、本来は白・黒の明るさを含めた3次元で、2つの円錐の底面同士をくっつけたような形になります。片方の頂点が白、もう一方が黒、2つの円錐がくっついている底面が上の図の色相環になります。底面から白の頂点に進むにつれて色は明るくなり、逆に黒の頂点に進むにつれて暗くなります。
最後にまとめますと、ラケットに合うグリップテープやストリングの色については2つのアプローチがあります。1つはラケットと同じような色を組み合わせること、もう1つは対比的な色を組み合わせることです。参考になればと思います。