2010年10月01日
不思議な体験②
不思議な体験の続きではなく、別のお話です。今回はいわゆる「ゾーン」という体験についてです。
この体験を説明することが難しいのですが、「覚醒する」とか「開花する」と表現する人もいるかも知れません。
「ゾーン」で適当に検索したら、
集中力が極限を高められた時、周囲の景色や音が意識から消える状態。
スポーツの一流選手は、世界レベルの試合でゾーンの世界に入ると言われている。
というのがありました。自分でもこのような体験をしたことが二度あります。検索で出てきたような状態だったかどうかはわかりませんが…。
この二度の体験は今までにブログに書いています。シングルス 21.10.17の2試合目と実業団対抗 東北大会②でシングルスで出た試合です。この二度の体験には共通点と相違点があるように感じました。今回は共通点や相違点を挙げてみて、自分なりに「ゾーン」というものを整理できたらいいなと思っています。心理学はほとんど関係なく、自分の体験を掘り下げてみようという試みです。
まずは、試合前の心構えから。
前者はその年最後のシングルスの大会であったことから、ミスしても気にしない、おもいっきり暴れよう、といったことを考えていました。ほぼノープレッシャーでお気楽な状態だったと思います。
後者は、前の日の飲み会にて自らシングルスを希望しての試合でした。団体戦ということで多少のプレッシャーはあったと思います。試合直前ではいけいけゴーゴーな状態ではなかったので、少しは緊張していたと思います。前者と後者の共通点は、少なくてもポジティブな状態であったことくらいかもしれません。
次は試合中の心境。
前者は最初から「ゾーン」の状態ではなく、0-2とリードされていました。その時には「やっぱりだめかなぁ…」と思ったことを今でも覚えています。ですが、その後は「ゾーン」の状態になりほとんど無心でした。「どこに何を打とう」とも考えてはいませんでした。
後者は最初のゲームから「ゾーン」の状態でした。ただ、前日の酒の影響で、後半はただひたすらしんどかったことを覚えています…。しんどいけれども最後まで「ゾーン」が切れることはなかったです。こちらもほとんど無心の状態でした。
次に、具体的にできたことについて。
前者は、フォアハンド、両手打ちのバックハンドが練習でもできなかった位の出来でした。特にバックハンドはほとんど自身が無かったのですが、出来るのが当たり前のような状態でした。フラットサーブも調子がよく、ディサイディングポイントでノータッチエースを奪うことがありました。他のディサイディングポイントでは、ダブルフォールトしたけど…。
後者では、ひたすらにフォアハンドが火を吹いていました。こちらも練習では出来なかった程の出来でした。前者とは異なり、バックハンドはスライスでつなぐだけ。サーブも普段とは変化なし。双方ではその時の技術水準が異なっていたことも影響あるとは思います。
次はその時の相手。
前者は県ランキング上位者。サーブもフォアもバックも基本的に速い球。とくにフォアハンドはフラットで、横から見ているとスピナーの自分にはとてもコートに納められないような打球。
後者はボールはそんなに速くないけれども遅くもない。バックハンドはスライス。
最後に、その次の試合ではどうだったか。両方共、その日のうちに次の試合がありました。
前者は、体が限界突破し初めて尻すぼみに。ただ、普段では出来ないことがよく出来ていたので、余韻は残っていたと思います。
後者は、完全に疲労困憊でだめだめ。体中がきつかった…。
いろいろ書いてみましたが、やっぱりよくわかりませんね。共通点もあれば相違点もけっこうあります。どうすれば「ゾーン」の状態になれるのかはほとんどわかりません。その要因はかなりたくさんあると思います。そのひとつとして、昔このブログで書いた潜在学習があるかもしれません。他には、心的資源をどれだけ現在のポイントに投入できるのかも重要だと思います。心的資源については、後々記事にしたと思います。
最後にいろいろと感想みたいなものを。今回書いた「ゾーン」というものを体験してみるのはいいことだと思います(簡単にできるものではないですが)。自分にもこんな力があるのか!と思えて、励みになるからです。けれども、その力を過信してしまうのはかなりだめです。狙って「ゾーン」の状態になれるのならいいのですが、まずそんなことは出来ないと思います。調子のいい上の力と悪い下の力があるならば、下の力を自分の実力としてみるべきだと思います。そうじゃないと安定して勝つことは難しいように思えます。
この体験を説明することが難しいのですが、「覚醒する」とか「開花する」と表現する人もいるかも知れません。
「ゾーン」で適当に検索したら、
集中力が極限を高められた時、周囲の景色や音が意識から消える状態。
スポーツの一流選手は、世界レベルの試合でゾーンの世界に入ると言われている。
というのがありました。自分でもこのような体験をしたことが二度あります。検索で出てきたような状態だったかどうかはわかりませんが…。
この二度の体験は今までにブログに書いています。シングルス 21.10.17の2試合目と実業団対抗 東北大会②でシングルスで出た試合です。この二度の体験には共通点と相違点があるように感じました。今回は共通点や相違点を挙げてみて、自分なりに「ゾーン」というものを整理できたらいいなと思っています。心理学はほとんど関係なく、自分の体験を掘り下げてみようという試みです。
まずは、試合前の心構えから。
前者はその年最後のシングルスの大会であったことから、ミスしても気にしない、おもいっきり暴れよう、といったことを考えていました。ほぼノープレッシャーでお気楽な状態だったと思います。
後者は、前の日の飲み会にて自らシングルスを希望しての試合でした。団体戦ということで多少のプレッシャーはあったと思います。試合直前ではいけいけゴーゴーな状態ではなかったので、少しは緊張していたと思います。前者と後者の共通点は、少なくてもポジティブな状態であったことくらいかもしれません。
次は試合中の心境。
前者は最初から「ゾーン」の状態ではなく、0-2とリードされていました。その時には「やっぱりだめかなぁ…」と思ったことを今でも覚えています。ですが、その後は「ゾーン」の状態になりほとんど無心でした。「どこに何を打とう」とも考えてはいませんでした。
後者は最初のゲームから「ゾーン」の状態でした。ただ、前日の酒の影響で、後半はただひたすらしんどかったことを覚えています…。しんどいけれども最後まで「ゾーン」が切れることはなかったです。こちらもほとんど無心の状態でした。
次に、具体的にできたことについて。
前者は、フォアハンド、両手打ちのバックハンドが練習でもできなかった位の出来でした。特にバックハンドはほとんど自身が無かったのですが、出来るのが当たり前のような状態でした。フラットサーブも調子がよく、ディサイディングポイントでノータッチエースを奪うことがありました。他のディサイディングポイントでは、ダブルフォールトしたけど…。
後者では、ひたすらにフォアハンドが火を吹いていました。こちらも練習では出来なかった程の出来でした。前者とは異なり、バックハンドはスライスでつなぐだけ。サーブも普段とは変化なし。双方ではその時の技術水準が異なっていたことも影響あるとは思います。
次はその時の相手。
前者は県ランキング上位者。サーブもフォアもバックも基本的に速い球。とくにフォアハンドはフラットで、横から見ているとスピナーの自分にはとてもコートに納められないような打球。
後者はボールはそんなに速くないけれども遅くもない。バックハンドはスライス。
最後に、その次の試合ではどうだったか。両方共、その日のうちに次の試合がありました。
前者は、体が限界突破し初めて尻すぼみに。ただ、普段では出来ないことがよく出来ていたので、余韻は残っていたと思います。
後者は、完全に疲労困憊でだめだめ。体中がきつかった…。
いろいろ書いてみましたが、やっぱりよくわかりませんね。共通点もあれば相違点もけっこうあります。どうすれば「ゾーン」の状態になれるのかはほとんどわかりません。その要因はかなりたくさんあると思います。そのひとつとして、昔このブログで書いた潜在学習があるかもしれません。他には、心的資源をどれだけ現在のポイントに投入できるのかも重要だと思います。心的資源については、後々記事にしたと思います。
最後にいろいろと感想みたいなものを。今回書いた「ゾーン」というものを体験してみるのはいいことだと思います(簡単にできるものではないですが)。自分にもこんな力があるのか!と思えて、励みになるからです。けれども、その力を過信してしまうのはかなりだめです。狙って「ゾーン」の状態になれるのならいいのですが、まずそんなことは出来ないと思います。調子のいい上の力と悪い下の力があるならば、下の力を自分の実力としてみるべきだと思います。そうじゃないと安定して勝つことは難しいように思えます。
2010年09月23日
不思議な体験
テニスをしてきて、不思議な体験をしたことがあります。自分の拙い心理学の知識でも全く説明ができない経験です。
高校生時代のこと、入学してソフトテニス部に入ったけれども怪我をして早々に辞めました。その後は、中学校のソフトテニス部で指導して(というより練習台になっていた)いました。その時のソフトテニスの腕前はたいしたことは全くありませんでした。
そんなある日のことです。急に見違えるほど上手くなっていました。フォアハンドストローク、バックハンドストローク、サーブの全てがです(後衛だったのでネットプレーはありません)。以前とは比較にならない程上手くなっており、きっかけというものは全く覚えがありません。部活もやめていたので、特に練習したということもないのです。
本当に説明がつかないです。こんな経験された方はいるでしょうか?今すぐこの経験をもう一度してみたいと常々思っています;
高校生時代のこと、入学してソフトテニス部に入ったけれども怪我をして早々に辞めました。その後は、中学校のソフトテニス部で指導して(というより練習台になっていた)いました。その時のソフトテニスの腕前はたいしたことは全くありませんでした。
そんなある日のことです。急に見違えるほど上手くなっていました。フォアハンドストローク、バックハンドストローク、サーブの全てがです(後衛だったのでネットプレーはありません)。以前とは比較にならない程上手くなっており、きっかけというものは全く覚えがありません。部活もやめていたので、特に練習したということもないのです。
本当に説明がつかないです。こんな経験された方はいるでしょうか?今すぐこの経験をもう一度してみたいと常々思っています;
2010年08月13日
ここ一番のメンタルの重要性
ブログのタイトルが心理学なのでメンタルに関する記事が期待されそうですが、僕はあまり書く気にならないのが本音です。というのも、我々一般ピーポーレベルのテニスではメンタルが重要だとは思わないからです。そもそもメンタルって何を指すのかも分かりませんし。
自分で試合に出たり、他の試合を見ていてメンタルの差で負けたような展開は見たことがありません。技術と身体の差で負けるのがほとんど全てだと思います。
いや、それでもここ一番の時に力を発揮できるメンタルを持っている方が勝つんじゃないの?と思われるかもしれません。例えば、プロの場合はここ一番のブレークされるピンチをエースで凌ぐ場面なんかがよく見られます。でも、そのようなメンタルが必要なのは相当なレベルの人だと思います。
具体的に言えば、互いにサービスキープが当たり前なレベルだと思います。そのレベルの場合、ブレークを1つするかされるかが勝つか負けるかの境になるので、ここ一番がより重要になると思います。
では、一般人レベルではどうでしょうか?ブレークしたりされたりな展開が多く、サービスキープが当たり前とは言えないと思います。そうなれば、そこらじゅうにピンチもあればチャンスもあるわけですから、ここ一番!なんて言えないと思います。ここ二番、ここ三番、ここ四番…とたくさんあります。こうなってしまうと、ここ一番で決めるメンタルが必要なんだ!なんて言えなくなると思います。
相手のマッチポイントを凌いでいれば…などと思い、ここ一番で決められたら…ということがあるかと思いますが、それはどうかと思います。大事なのはその1つのポイントではなく、相手に重要なポイントを取られた過程でしょう。その1つのポイントよりも、その過程はより多くのポイントが重なって出来たわけです。数多くのポイントで差を付けられたなら、それはメンタル以前に技術で負けているからと考えるのが妥当だと思います。ピンチになったポイントはその過程の延長に過ぎない、と自分では考えています。
メンタルの重要性に否定的な理由をいろいろ述べましたが、他にもあります。それは、負けた言い訳をメンタルのせいにするのが一番楽だからです。「自力で負けたから」「努力が足りなかったから」というよりも、「調子が出なかったから」「気分が乗らなかったから」と考えたほうが自分の自尊心が傷つかないからです。
技術的に未熟なのにメンタルのせいで負けたと考えるのは非合理的なことだと思います。勝つためにもっと重要なことから目を離すために、「メンタル」という言葉が使われることが多いような気がします。
自分で試合に出たり、他の試合を見ていてメンタルの差で負けたような展開は見たことがありません。技術と身体の差で負けるのがほとんど全てだと思います。
いや、それでもここ一番の時に力を発揮できるメンタルを持っている方が勝つんじゃないの?と思われるかもしれません。例えば、プロの場合はここ一番のブレークされるピンチをエースで凌ぐ場面なんかがよく見られます。でも、そのようなメンタルが必要なのは相当なレベルの人だと思います。
具体的に言えば、互いにサービスキープが当たり前なレベルだと思います。そのレベルの場合、ブレークを1つするかされるかが勝つか負けるかの境になるので、ここ一番がより重要になると思います。
では、一般人レベルではどうでしょうか?ブレークしたりされたりな展開が多く、サービスキープが当たり前とは言えないと思います。そうなれば、そこらじゅうにピンチもあればチャンスもあるわけですから、ここ一番!なんて言えないと思います。ここ二番、ここ三番、ここ四番…とたくさんあります。こうなってしまうと、ここ一番で決めるメンタルが必要なんだ!なんて言えなくなると思います。
相手のマッチポイントを凌いでいれば…などと思い、ここ一番で決められたら…ということがあるかと思いますが、それはどうかと思います。大事なのはその1つのポイントではなく、相手に重要なポイントを取られた過程でしょう。その1つのポイントよりも、その過程はより多くのポイントが重なって出来たわけです。数多くのポイントで差を付けられたなら、それはメンタル以前に技術で負けているからと考えるのが妥当だと思います。ピンチになったポイントはその過程の延長に過ぎない、と自分では考えています。
メンタルの重要性に否定的な理由をいろいろ述べましたが、他にもあります。それは、負けた言い訳をメンタルのせいにするのが一番楽だからです。「自力で負けたから」「努力が足りなかったから」というよりも、「調子が出なかったから」「気分が乗らなかったから」と考えたほうが自分の自尊心が傷つかないからです。
技術的に未熟なのにメンタルのせいで負けたと考えるのは非合理的なことだと思います。勝つためにもっと重要なことから目を離すために、「メンタル」という言葉が使われることが多いような気がします。
2009年12月26日
フールプルーフ
メンタルに関するだろうこと第2弾。今年のウィンブルドン男子シングルス決勝を見ていたときに、タイトルの言葉が思い浮かびました。その言葉の意味については最後の方で説明します。
ミスしたら切り替えが大切と言われます。しかし、ミスをしたらネガティブな感情(情動)が出てしまいます。自分に対する苛立ち、怒り、焦り…などなどがあるでしょう。次のポイントへ切り替えをするには、そのような情動への対処が必要になるのではないかと思います。前のポイントをそのまま引きずったら次のポイントに集中できないでしょう。では、どのように対処すれば良いのでしょうか。そのような情動を感じるな、聖人君子たれ、というのは無理です。何かしら感じるのがヒトだと思います。
その対処方法について、ウィンブルドン男子決勝、ロディックのある行動を見て感じたことがありました。
ある行動とは、ボールパーソンにタオルを要求していたことです。僕が注目したのは、その行動自体ではなくてそのタイミングです。ミスをしたポイントでは、ポイントが決まったらすぐにタオルを要求していました。場合によっては、自分が決めたポイントでもそんなことをしていたような気もしますが。
それを見て勝手に、なるほどなぁ…と思っていました。ミスをしてネガティブな情動が出てくることは仕方ない。だったら、そんな余計なものが出てくる前に何か行動をすることで出てこなくすればいい。そんな効果があるのではないかと思ったのです。ロディックがそのような考えでこんなことをするのか、自然にこうすることを対処方法として身につけたのか、全く関係ないかは分かりませんけど…。
そこで、タイトルの「フールプルーフ」という言葉が思い浮かびました。この言葉は応用心理学や人間工学の分野で専ら使われますが、「フール」は「馬鹿な、おろかな」、「プルーフ」は「防止」という意味になるかと思います。これは、製品の設計段階で、人がミスをすることを前提にした安全対策を施すことなどを言います。例えば、AT車ではギアがPかNレンジに入っていなければエンジンを始動できません。他のレンジにギアが入っている状態で始動したら、不意に車が動いて事故に繋がります。ギアがPかNに入っていることを確認してからエンジンを掛けなさいと言っても、必ずしもそうするとは限りません。そこで、「他のレンジにギアが入っている状態で始動」するというバカなことをしても、大事にならないような構造になっています。
先に書いた、ネガティブな情動の対処方法も「フールプルーフ」と言えるのではないかと思います。ミスしてネガティブな情動が出てそれを次のポイント以降に引きずるのは、プレー上は愚かなことかもしれません。しかし、そうしないようにしても、必ずしもできません。ならば、ネガティブな情動自体を出てこなくすれば、その愚かなことが起きない構造設計になります。そう考えると、これも「フールプルーフ」と呼べるような気もするのです。
そんな能書きはいいとして、どう実践すれば良いのでしょうか。我々庶民がボールパーソン付で試合をすることなんてありませんからね(;・∀・)
自分のプレーを思い起こすと、このように考える前からやっていたことがありました。それは、ポイントが決まったら手をグリップから外してラケットを持つことです。スロート部分を持つようになっていたんです。いつからやっていたのかはわかりません。自然に身につけていたんでしょうかね…なんとも不思議です。
ミスしたら切り替えが大切と言われます。しかし、ミスをしたらネガティブな感情(情動)が出てしまいます。自分に対する苛立ち、怒り、焦り…などなどがあるでしょう。次のポイントへ切り替えをするには、そのような情動への対処が必要になるのではないかと思います。前のポイントをそのまま引きずったら次のポイントに集中できないでしょう。では、どのように対処すれば良いのでしょうか。そのような情動を感じるな、聖人君子たれ、というのは無理です。何かしら感じるのがヒトだと思います。
その対処方法について、ウィンブルドン男子決勝、ロディックのある行動を見て感じたことがありました。
ある行動とは、ボールパーソンにタオルを要求していたことです。僕が注目したのは、その行動自体ではなくてそのタイミングです。ミスをしたポイントでは、ポイントが決まったらすぐにタオルを要求していました。場合によっては、自分が決めたポイントでもそんなことをしていたような気もしますが。
それを見て勝手に、なるほどなぁ…と思っていました。ミスをしてネガティブな情動が出てくることは仕方ない。だったら、そんな余計なものが出てくる前に何か行動をすることで出てこなくすればいい。そんな効果があるのではないかと思ったのです。ロディックがそのような考えでこんなことをするのか、自然にこうすることを対処方法として身につけたのか、全く関係ないかは分かりませんけど…。
そこで、タイトルの「フールプルーフ」という言葉が思い浮かびました。この言葉は応用心理学や人間工学の分野で専ら使われますが、「フール」は「馬鹿な、おろかな」、「プルーフ」は「防止」という意味になるかと思います。これは、製品の設計段階で、人がミスをすることを前提にした安全対策を施すことなどを言います。例えば、AT車ではギアがPかNレンジに入っていなければエンジンを始動できません。他のレンジにギアが入っている状態で始動したら、不意に車が動いて事故に繋がります。ギアがPかNに入っていることを確認してからエンジンを掛けなさいと言っても、必ずしもそうするとは限りません。そこで、「他のレンジにギアが入っている状態で始動」するというバカなことをしても、大事にならないような構造になっています。
先に書いた、ネガティブな情動の対処方法も「フールプルーフ」と言えるのではないかと思います。ミスしてネガティブな情動が出てそれを次のポイント以降に引きずるのは、プレー上は愚かなことかもしれません。しかし、そうしないようにしても、必ずしもできません。ならば、ネガティブな情動自体を出てこなくすれば、その愚かなことが起きない構造設計になります。そう考えると、これも「フールプルーフ」と呼べるような気もするのです。
そんな能書きはいいとして、どう実践すれば良いのでしょうか。我々庶民がボールパーソン付で試合をすることなんてありませんからね(;・∀・)
自分のプレーを思い起こすと、このように考える前からやっていたことがありました。それは、ポイントが決まったら手をグリップから外してラケットを持つことです。スロート部分を持つようになっていたんです。いつからやっていたのかはわかりません。自然に身につけていたんでしょうかね…なんとも不思議です。
2009年12月21日
メンタルについて②
メンタルについての続きのようなお話です。この時に、いわゆるメンタルについての記事が少ない理由を書いたと思います。後々考えてみると、他にも理由があることに気づきました。
その理由とは、今までメンタルに苦労したことはそんなにないことです。むしろ練習よりも試合の方が強いです。もしメンタルで苦労していたなら、きっと一生懸命対策を考えて実践してブログにも書いていることだと思います。
なんで試合のほうが強くなったかは分かりません。なろうと思ってなったわけではないんです。
理由を考えてみると、普段からの考え方がそうしているのかもしれません。うまく言い表せませんが、原因帰属の誤謬で書いたような考え方を、普段からしているからかもしれません。現実的というか楽観的というか…?あと、練習では温度が低いからかもしれません。試合になると別人になるかの如くか分かりませんが、テンションが上がります。なんででしょ?
心理屋さんの自分が言うのもおかしな話ですが、メンタルというものは難しいですね。多少はメンタルに関する文献も読んでいますので、少しずつでも書いていこうと思います。
その理由とは、今までメンタルに苦労したことはそんなにないことです。むしろ練習よりも試合の方が強いです。もしメンタルで苦労していたなら、きっと一生懸命対策を考えて実践してブログにも書いていることだと思います。
なんで試合のほうが強くなったかは分かりません。なろうと思ってなったわけではないんです。
理由を考えてみると、普段からの考え方がそうしているのかもしれません。うまく言い表せませんが、原因帰属の誤謬で書いたような考え方を、普段からしているからかもしれません。現実的というか楽観的というか…?あと、練習では温度が低いからかもしれません。試合になると別人になるかの如くか分かりませんが、テンションが上がります。なんででしょ?
心理屋さんの自分が言うのもおかしな話ですが、メンタルというものは難しいですね。多少はメンタルに関する文献も読んでいますので、少しずつでも書いていこうと思います。
2009年12月06日
原因帰属の誤謬
予告したメンタルに関係するだろう事について書きます。これは、今シーズンの最後の大会の前に少しは心理屋らしくなにか考えて望もうとして考えたことです。これが少しはいい結果につながったかどうか分かりませんが、いろいろ書こうと思います。
タイトルは、原因帰属の誤謬(ごびゅう)と読みます。大雑把に説明すると、ある物事が起こったときにその原因を間違った物に推定してしまうことをいいます。これは日常だけでなく、大きな社会的現象にも成り得ます。例えば、インフルエンザ治療薬のタミフルが異常行動を起こすとされたことなど。なんでこんなふうに考えられたんでしょうかね…。原因帰属に関しては様々な認知心理学的研究がありますが、省略します。
大会前にこの原因帰属の誤謬について考えました。その結果、最後の大会だし「好き勝手に暴れよう」という乱暴(?)な決意に至ったのです。その考えの過程を書きたいと思います。
「試合でミスをするのはなぜか?」
これについて考えてみました。みなさんならこの問い掛けに対してどのように考えるでしょうか?
試合に慣れていないから? 緊張するから?
そのように考える人が多いのではないかと予想します。しかし、それは最もらしい回答ではないと思います。それらよりも先に出て来なければいけない回答があるのではないでしょうか。
これに対して自分が考えた回答は、以下の通りです。
「練習でもミスするから」
別にふざけているわけでも、おちょくっているわけでもありません。大真面目に言っています。
試合でミスすることを試合特有の要因のせいにするよりも、この回答が最もらしく一番最初に出てくるべきものだと思います。なぜなら、試合であれ、練習であれ、我々は同じテニスをしているからです。「試合でミスする原因は、試合特有の要因のせいである」と考えるのは原因帰属の誤謬であると思います。
(ここでお断りしますが、「試合特有の要因」を完全否定しているわけではありません。それよりも、「練習でミスするから」という理由が先に出てこなければいけないと言っているだけです。)
練習よりも試合の方がミスが多いと感じる方もいるかも知れませんが、本当にそうでしょうか?特に根拠もなくそう思っているのではないかと思います。練習でミスしても何も失いませんが、試合でミスすると点を失います。失うものがなければ何も思うことはないし、失うものがあればそれを重く受け止めます。その差が、試合のほうがミスが多いと感じる原因とも考えられます。
このように考えた結果、自分が大会で取った行動は「普段の練習通りにやろう。ミスしても気にせず、怯まず、普段どおりを一貫しよう。」→「好き勝手暴れよう。」となったのです。試合でミスしたとしても、練習でミスするんだから試合中にはどう仕様もない、そんなどう仕様もないことであれこれ考えてもどう仕様もあるまい、そうすれば普段どおりを貫く以外あるまい、といった流れでしょうか。どう仕様も無い男にしか見えなくもない…。
テニスをする人なら誰しもが、「ドンマイ(D'ont mind)」という言葉を口にしたことがあると思います。この言葉の意味について、再考してみるといいかもしれません。
タイトルは、原因帰属の誤謬(ごびゅう)と読みます。大雑把に説明すると、ある物事が起こったときにその原因を間違った物に推定してしまうことをいいます。これは日常だけでなく、大きな社会的現象にも成り得ます。例えば、インフルエンザ治療薬のタミフルが異常行動を起こすとされたことなど。なんでこんなふうに考えられたんでしょうかね…。原因帰属に関しては様々な認知心理学的研究がありますが、省略します。
大会前にこの原因帰属の誤謬について考えました。その結果、最後の大会だし「好き勝手に暴れよう」という乱暴(?)な決意に至ったのです。その考えの過程を書きたいと思います。
「試合でミスをするのはなぜか?」
これについて考えてみました。みなさんならこの問い掛けに対してどのように考えるでしょうか?
試合に慣れていないから? 緊張するから?
そのように考える人が多いのではないかと予想します。しかし、それは最もらしい回答ではないと思います。それらよりも先に出て来なければいけない回答があるのではないでしょうか。
これに対して自分が考えた回答は、以下の通りです。
「練習でもミスするから」
別にふざけているわけでも、おちょくっているわけでもありません。大真面目に言っています。
試合でミスすることを試合特有の要因のせいにするよりも、この回答が最もらしく一番最初に出てくるべきものだと思います。なぜなら、試合であれ、練習であれ、我々は同じテニスをしているからです。「試合でミスする原因は、試合特有の要因のせいである」と考えるのは原因帰属の誤謬であると思います。
(ここでお断りしますが、「試合特有の要因」を完全否定しているわけではありません。それよりも、「練習でミスするから」という理由が先に出てこなければいけないと言っているだけです。)
練習よりも試合の方がミスが多いと感じる方もいるかも知れませんが、本当にそうでしょうか?特に根拠もなくそう思っているのではないかと思います。練習でミスしても何も失いませんが、試合でミスすると点を失います。失うものがなければ何も思うことはないし、失うものがあればそれを重く受け止めます。その差が、試合のほうがミスが多いと感じる原因とも考えられます。
このように考えた結果、自分が大会で取った行動は「普段の練習通りにやろう。ミスしても気にせず、怯まず、普段どおりを一貫しよう。」→「好き勝手暴れよう。」となったのです。試合でミスしたとしても、練習でミスするんだから試合中にはどう仕様もない、そんなどう仕様もないことであれこれ考えてもどう仕様もあるまい、そうすれば普段どおりを貫く以外あるまい、といった流れでしょうか。どう仕様も無い男にしか見えなくもない…。
テニスをする人なら誰しもが、「ドンマイ(D'ont mind)」という言葉を口にしたことがあると思います。この言葉の意味について、再考してみるといいかもしれません。
2009年11月27日
メンタルについて
このブログのタイトルを見て訪ねた人の中には、あまり心理学っぽくないと感じている人が多いと思います。いわゆる「メンタル」に関する記事がたくさんあるんだろうと想像する方が多いのではないでしょうか。
今まで、メンタルに関するようなことはほとんど書きませんでした。ブログの右側にある記事のカテゴリーは、心理学に関係する記事を心理学の分野でまとめているのですが、メンタルに関係しそうな臨床系のカテゴリーはありません。もちろん精神分析なんてもっての他と言わんばかりです。
これには多少の理由があります。大学時代にそのような分野を学ぶ機会がほとんどなかったのです。社会心理学の先生は3年生になってから新しく来ましたが、臨床心理学の先生は最初から最後までいませんでした。ですので、実験心理学の先生がほとんどだったのです。そして、今の仕事も実験系なので、僕はバリバリ(?)の実験系なのです。一応、臨床心理学は集中講義を1度受けたことはあります。しかし、その先生は行動療法に関する研究を行っている方ですので、臨床心理学の中でも実験系に近い内容でした。
今までメンタルに触れてこなかった理由を述べましたが、これからは多少は書いていきたいと思っています。とはいっても、新たに臨床心理学等を学ぶというわけではありません。今までの知識や考えをもとにして書こうと思っています。人の精神・心というものは云々…というような精神論(?)を語るのではなく、実験心理学や認知心理学などの分野で実験的に明らかになっていることをもとにして考えたいと思います。
とはいっても、まだ1つや2つくらいしか記事のネタが思いついていません。ぽつぽつと書いていきたいと思います。
今まで、メンタルに関するようなことはほとんど書きませんでした。ブログの右側にある記事のカテゴリーは、心理学に関係する記事を心理学の分野でまとめているのですが、メンタルに関係しそうな臨床系のカテゴリーはありません。もちろん精神分析なんてもっての他と言わんばかりです。
これには多少の理由があります。大学時代にそのような分野を学ぶ機会がほとんどなかったのです。社会心理学の先生は3年生になってから新しく来ましたが、臨床心理学の先生は最初から最後までいませんでした。ですので、実験心理学の先生がほとんどだったのです。そして、今の仕事も実験系なので、僕はバリバリ(?)の実験系なのです。一応、臨床心理学は集中講義を1度受けたことはあります。しかし、その先生は行動療法に関する研究を行っている方ですので、臨床心理学の中でも実験系に近い内容でした。
今までメンタルに触れてこなかった理由を述べましたが、これからは多少は書いていきたいと思っています。とはいっても、新たに臨床心理学等を学ぶというわけではありません。今までの知識や考えをもとにして書こうと思っています。人の精神・心というものは云々…というような精神論(?)を語るのではなく、実験心理学や認知心理学などの分野で実験的に明らかになっていることをもとにして考えたいと思います。
とはいっても、まだ1つや2つくらいしか記事のネタが思いついていません。ぽつぽつと書いていきたいと思います。
2007年09月01日
イメージトレーニングについて
イメージトレーニングという言葉を知っている人は多いと思います。パフォーマンス向上に役立つといわれていますが、どうして役立つのか、どのくらい効果があるのかについて知っている人は少ないと思います。今回はイメージトレーニングについて、主にその点について書きたいと思います。
最初に、運動するイメージをしたときの脳の状態についてです。最近では脳のどの部分が活性化しているかを測定するfMRI(機能的磁気共鳴断層撮影法)というものが発達しているので、脳の活動を視覚的に観察できるようになりました。その方法を用いて運動するイメージをしたときの脳の状態を観察すると、運動を実際にしたときと共通した運動野と体制感覚野の活動が見られるという報告が多くあります。例えば指を曲げるイメージをしたら、指の運動を司る部位と指を曲げたときの指の感覚を司る部位が活性化するということです。このことから、イメージトレーニングがパフォーマンス向上に役立つひとつの理由として、イメージをすることで脳の運動野が活性化することがあげられます。体を全く動かさなくて、頭の中でリハーサルを行なっている、といえます。
では、実際の運動と比べてイメージトレーニングはどれほどの効果があるかについてです。これについて、fMRIを用いて実際の運動時の脳の活性化具合と、その運動をイメージしたときの脳の活性化具合を比較した研究があります。この研究によると、イメージしたときの脳の活性化は、実際に運動したときの3割程度だそうです。
当たり前といえば当たり前ですが、やはり実際に体を動かさずにイメージするだけではだめだということです。ラマチャンドランの言葉を借りると、「想像が現実を超えることはありえない。もし、物を食べることを想像しただけで腹が満たされたら、人類は滅びてしまう」という言葉が当てはまると思います。
ですが、イメージトレーニングが3割の効果しかないとしても活用する機会は多いと思います。忙しくてテニスが出来ないとき、怪我をしてテニスが出来ないときなど、実際にテニスを出来ないときでも、パフォーマンス向上に役立たせることができるからです。また、イメージトレーニングを長期間重ねることにより、イメージトレーニングの効果をあげることが出来るのではないか、とも考えられています。
最後に、文中で出てきたラマチャンドランについて少し説明したいと思います。著書の「脳の中の幽霊」や「脳の中の幽霊、再び」がベストセラーになったことや、水曜9時からの日本テレビの番組(世界仰天ニュースだったか?)で取り上げらたことで、知っている人も多いかもしれません。
ラマチャンドランは現代の心理学者を代表する1人です。専門は神経心理学・神経外科で、幻肢の研究が最も有名です。幻肢とは、自己や手術によって切断された手足(四肢)が、まるでまだあるように感じることです。しかし、その無くなった四肢を動かすことが出来ずにとても邪魔な位置にあって困ってしまうことや、無いはずの四肢が痛い(幻肢痛)といったことになることもあります。無いはずの手足の痛みを治療するなんて無理なはずですが、ラマチャンドランは幻肢痛の治療法を開発しました。この治療法の開発は彼の偉大な功績の1つです。
もし詳しく知りたいなら、「脳の中の幽霊」・「脳の中の幽霊、再び」を読むことをお勧めします。心理学について詳しくない人でも読むことが出来る、非常に分かりやすい内容ですし、何よりおもしろいです。幻肢のこと以外にも触れられていて、私としては、神経心理学の立場から世界の様々な美術作品に共通する「美しさ」についての仮説が最も興味深かったです。この本は私のお勧めですので、機会があったらぜひ読んでみてください。
最初に、運動するイメージをしたときの脳の状態についてです。最近では脳のどの部分が活性化しているかを測定するfMRI(機能的磁気共鳴断層撮影法)というものが発達しているので、脳の活動を視覚的に観察できるようになりました。その方法を用いて運動するイメージをしたときの脳の状態を観察すると、運動を実際にしたときと共通した運動野と体制感覚野の活動が見られるという報告が多くあります。例えば指を曲げるイメージをしたら、指の運動を司る部位と指を曲げたときの指の感覚を司る部位が活性化するということです。このことから、イメージトレーニングがパフォーマンス向上に役立つひとつの理由として、イメージをすることで脳の運動野が活性化することがあげられます。体を全く動かさなくて、頭の中でリハーサルを行なっている、といえます。
では、実際の運動と比べてイメージトレーニングはどれほどの効果があるかについてです。これについて、fMRIを用いて実際の運動時の脳の活性化具合と、その運動をイメージしたときの脳の活性化具合を比較した研究があります。この研究によると、イメージしたときの脳の活性化は、実際に運動したときの3割程度だそうです。
当たり前といえば当たり前ですが、やはり実際に体を動かさずにイメージするだけではだめだということです。ラマチャンドランの言葉を借りると、「想像が現実を超えることはありえない。もし、物を食べることを想像しただけで腹が満たされたら、人類は滅びてしまう」という言葉が当てはまると思います。
ですが、イメージトレーニングが3割の効果しかないとしても活用する機会は多いと思います。忙しくてテニスが出来ないとき、怪我をしてテニスが出来ないときなど、実際にテニスを出来ないときでも、パフォーマンス向上に役立たせることができるからです。また、イメージトレーニングを長期間重ねることにより、イメージトレーニングの効果をあげることが出来るのではないか、とも考えられています。
最後に、文中で出てきたラマチャンドランについて少し説明したいと思います。著書の「脳の中の幽霊」や「脳の中の幽霊、再び」がベストセラーになったことや、水曜9時からの日本テレビの番組(世界仰天ニュースだったか?)で取り上げらたことで、知っている人も多いかもしれません。
ラマチャンドランは現代の心理学者を代表する1人です。専門は神経心理学・神経外科で、幻肢の研究が最も有名です。幻肢とは、自己や手術によって切断された手足(四肢)が、まるでまだあるように感じることです。しかし、その無くなった四肢を動かすことが出来ずにとても邪魔な位置にあって困ってしまうことや、無いはずの四肢が痛い(幻肢痛)といったことになることもあります。無いはずの手足の痛みを治療するなんて無理なはずですが、ラマチャンドランは幻肢痛の治療法を開発しました。この治療法の開発は彼の偉大な功績の1つです。
もし詳しく知りたいなら、「脳の中の幽霊」・「脳の中の幽霊、再び」を読むことをお勧めします。心理学について詳しくない人でも読むことが出来る、非常に分かりやすい内容ですし、何よりおもしろいです。幻肢のこと以外にも触れられていて、私としては、神経心理学の立場から世界の様々な美術作品に共通する「美しさ」についての仮説が最も興味深かったです。この本は私のお勧めですので、機会があったらぜひ読んでみてください。
2007年08月19日
メンタルトレーニングについて
メンタルトレーニング(以下MT)という言葉を聞いたことがある人は多いでしょうし、興味がある人も多いと思います。今回はMT全般のお話です。
まず始めに
現場がMTに期待するのはパフォーマンス改善の即効性ですが、現実的には「わずかな投資で奇跡を期待してはならない」
というMT界の偉い方の言葉通りだそうです。また、現在では日本スポーツ心理学会が公認する、「スポーツMT指導士」という資格があるそうです。このことからも、MTの敷居は高いような印象を受けます。ですが、MTに関する本は数多く出版されているので、それを参考にすることは出来ると思います。理論やデータに基づかない、非実証的なものもあるかもしれませんが、次の3つはちゃんとした内容の本らしいです。紹介文もあわせて書いておきます。
「メンタルトレーニングワークブック」 中込四郎(1994)道和書院
MTで用いられる主要な心理技法について豊富な実践例に基づき解説している
「日本人のメンタルトレーニング」 長田一臣(1995)スキージャーナル
著者独自の立場から、トップアスリートへの心理サポートの実践例が豊富に紹介されている
「スポーツメンタルトレーニング教本」 日本スポーツ心理学会(2002)大修館書店
日本スポーツ心理学会が認定するスポーツメンタルトレーニング指導士のためのテキストとして位置づけられている
MTの役割
MTの役割はスポーツ選手の心理的要因を強化することです。その要因を具体的に挙げると、意欲の向上、不安・緊張のコントロール、集中力の向上、チームワークの強化…などなど多岐に及びます。
MTではどのようなことをするのか
始めはアセスメント(評価)から始まります。現在の自身の状態を把握して、MTにおける課題を明確にするためです。
アセスメントは面接や、専用の質問紙テストなどで行なわれます。アセスメントを元にトレーニングするのですが、次のようなことを行ないます。(詳細はわかりませんので、どのようなことをするかだけです…)
リラクセーション技法
呼吸法、筋弛緩法など
イメージ技法
理想的な動作のイメージをするなど
目標設定技法
明確に目標を設定し、それを達成するためのプランを立てる
ピークパフォーマンス分析
最高のプレーが出来たときの心理状態を分析し、理解する
暗示技法
自分に語りかけるなど
モニタリング技法
自分の行動を観察して記録し、自分にとって最適な状態を把握する
MTという言葉は知っているけど、具体的なMTは知らない方が大多数だと思いますが(私もその1人でした)、そのような方々向けに書いたつもりです。少しでもMTについての理解に貢献できたら幸いです。
まず始めに
現場がMTに期待するのはパフォーマンス改善の即効性ですが、現実的には「わずかな投資で奇跡を期待してはならない」
というMT界の偉い方の言葉通りだそうです。また、現在では日本スポーツ心理学会が公認する、「スポーツMT指導士」という資格があるそうです。このことからも、MTの敷居は高いような印象を受けます。ですが、MTに関する本は数多く出版されているので、それを参考にすることは出来ると思います。理論やデータに基づかない、非実証的なものもあるかもしれませんが、次の3つはちゃんとした内容の本らしいです。紹介文もあわせて書いておきます。
「メンタルトレーニングワークブック」 中込四郎(1994)道和書院
MTで用いられる主要な心理技法について豊富な実践例に基づき解説している
「日本人のメンタルトレーニング」 長田一臣(1995)スキージャーナル
著者独自の立場から、トップアスリートへの心理サポートの実践例が豊富に紹介されている
「スポーツメンタルトレーニング教本」 日本スポーツ心理学会(2002)大修館書店
日本スポーツ心理学会が認定するスポーツメンタルトレーニング指導士のためのテキストとして位置づけられている
MTの役割
MTの役割はスポーツ選手の心理的要因を強化することです。その要因を具体的に挙げると、意欲の向上、不安・緊張のコントロール、集中力の向上、チームワークの強化…などなど多岐に及びます。
MTではどのようなことをするのか
始めはアセスメント(評価)から始まります。現在の自身の状態を把握して、MTにおける課題を明確にするためです。
アセスメントは面接や、専用の質問紙テストなどで行なわれます。アセスメントを元にトレーニングするのですが、次のようなことを行ないます。(詳細はわかりませんので、どのようなことをするかだけです…)
リラクセーション技法
呼吸法、筋弛緩法など
イメージ技法
理想的な動作のイメージをするなど
目標設定技法
明確に目標を設定し、それを達成するためのプランを立てる
ピークパフォーマンス分析
最高のプレーが出来たときの心理状態を分析し、理解する
暗示技法
自分に語りかけるなど
モニタリング技法
自分の行動を観察して記録し、自分にとって最適な状態を把握する
MTという言葉は知っているけど、具体的なMTは知らない方が大多数だと思いますが(私もその1人でした)、そのような方々向けに書いたつもりです。少しでもMTについての理解に貢献できたら幸いです。